Weston, W. and 勉. 水野 (1996). 日本アルプス再訪. 東京, 平凡社, 1996.9.
ウェストンは英国国教会の伝道師で、日本近代登山の父と言われ、上高地には彼のレリーフがある。日本には3回滞在し、1888-1895年、1902-1905年、1911-1915年である。本書は邦訳タイトルが示すように、1918年に第二回と第三回の来日時の経験をつづったものであり、この書物の他にももう一冊、日本アルプスについての書物ももちろん翻訳されている。
『日本アルプス再訪』の第15章がとても面白い主張をしていて、それは当時の日本は古代ギリシアに似ているというものである。こういうのはウェストンだけではなく、ウェストンが引用する他のイギリス人の著作においても、明治中期から末期の日本が古代ギリシアと似ているという、ある意味で途方もない褒め言葉が用いられている。薩摩は質実剛健でスパルタに似ており、社交的で闊達な京都はアテネに似ているという。これは、日清戦争と日露戦争などで隣接する大国に勝利したのは、古代ギリシアがペルシア帝国に勝利したのと同じように見られていたのかもしれないし、日英同盟の成果などもあるのだろうが、そのあたりは何も分からない。重要なことは、その議論において地形が重要であったことである。日本もギリシアも山が多く、谷や海岸線に刻まれた地形が、それぞれの小さな地域社会を独立した共同体にする。外に対しては四方がよく外敵に守られていると同時に、海に面していて外国との関係も盛んである。神々は、オリンポスでも北アルプスでも、山にまつられる。ギリシアでも『女大学』でも、女性には極度の謙虚さが要求され、男性は妻を「家内」と呼ぶ。国土は肥沃なほうでなく、住民の多くは勤勉で倹約を重んじる。最後の点について、現代のギリシアが示している姿とはだいぶ違う気がするが、そういう話はここでは大事ではない。地形と人々の精神や社会の比較というと、私の念頭にあったのは、イェール大学の教授のハンチントンの Climate and Civilization で、初版は1915年に出版され、日本で岩波文庫の翻訳が昭和13年に出ている著作があるが、ここで問題になっているのは、西欧と熱帯地方の比較であり、そこでは気候が重視されている。一方で、地形や文化の話をすると、同じか、あるいは似たような気候帯の中で、より詳細な分析ができるということである。