ハンセン病 熊本 菊池恵楓園

全国ハンセン病療養所入所者協議会. 復権への日月 : ハンセン病患者の闘いの記録. 光陽出版社, 2001.
国立療養所菊池恵楓園入所者自治会. 壁をこえて : 自治会八十年の軌跡. 国立療養所菊池恵楓園入所者自治会, 2006.
国立療養所菊池恵楓園. 百年の星霜 熊本におけるハンセン病の歴史.  国立療養所菊池恵楓園, 2010.
 
熊本のハンセン病療養院である菊池恵楓園で開催された日本ハンセン病学会に参加した。ペーパーを読むほかに、恵楓園の中をゆっくりと歩き回り、熊本の加藤清正の廟であった本妙寺という日蓮宗の寺を訪ね、学会参加記念にいただいた三冊の書物を眺めた。
 
恵楓園の空間は広々として緑が多く、どこにも深い人性の趣きがあった。東京ドーム12個分だそうで、周囲を歩いて一周すると1時間くらいはかかるかもしれない。かつては、ハンセン病に侵されると失明したり弱視になったため、農作業などに出た患者たちを音を用いて自分の居場所がわかるようにする仕組みを作る必要があった。昔は風で回る鐘があったが、現在では、盲導鈴(もうどうれい)という機械仕掛けのものがあり、そこから音楽が流れている。私が聞いた音楽は「みかんの花咲く丘」という1947年に発表された名曲だった。戦後に入院した患者たちにきっと人気がある歌だったのだろう。別の場所だと別の音楽が流れていて、それを聞き分けていくと、広い園内のどこにいるかが分かるとのこと。私は、一曲しか聞くことができなかったけれども。きっと、恵楓園を再訪する機会があるだろうから、その折に聞いてみよう。 
 
本妙寺も面白かった。加藤清正の廟であり、日蓮宗の大きな寺であった。江戸時代には身延久遠寺池上本門寺などの日蓮宗の寺にハンセン病者が集まったこともあり、また風評だが、清正がハンセン病にかかっているといううわさもあったからという。だいたい30名から150名の患者が集まっていたという。1940年に一掃されて、各地の療養所に送り込まれたという。ハンセン病部落の痕跡みたいなものは、私には見つけられなかった。清正が飼っていたサルが論語を読んで賢かったことを記念した石像があったので、感心してロウソクをお供えした。「頭をなであげろ」と書いてあると思い、「なであげる」というのも少し不思議な日本語だと思いながら、頭を上の方になであげてあげたところ、実は「頭をなでてあげろ」と書いてあったとのこと。そんなに大きな間違いではない(笑)
 
いただいた三冊の本は、いずれも生き生きとした情報が多かった。 『百年の星霜』の末尾の野上先生の言葉を引用しておく。
 
ハンセン病はもはや、不可解な病気とはいえない。科学的に解明されつつある一疾患である。苦難多き時代を入所者と共に園を支えてきた先輩諸氏をはじめ、皆にこのことを知らせたい思いをこめて、この百周年記念誌の編集に携わった。長年この病に苦しめられた人々にも、はっきりとそう伝え、治っているのだから安心して余生を送ってくださいと言い、未だに偏見の呪縛から逃れられない人々にも、誠意をもってすれば、きっと心に届くと信じて、真実を伝える努力を続けたいと思う。」