17世紀武器軟膏の自然哲学と道徳哲学について

Eco, Umberto, 藤村昌昭訳. 前日島. 文藝春秋, 1999.

ウンベルト・エーコの小説『前日島』(1995) は、17世紀の科学史や医学史などの自然哲学の歴史の研究者にとっては楽しい作品である。当時のヨーロッパの強国の一大関心事であった「経線法」、すなわち航海中の船が、自分がどの軽度にいるかを確定する方法を主題としており、それに絡まる副次的な主題として17世紀の戦争やペストなどについての洞察が織り込まれている。その中で最も大きな題目が「武器軟膏」である。武器軟膏というのは、パラケルススやアグリッパなどが唱えた、錬金術医学や魔術的な医学で重視された考えである。人が武器で傷つけられて負傷した時、通常は怪我の方に薬を塗る。しかし、武器軟膏の考えでは、武器に軟膏を塗っても、武器と怪我の共感や魔法を使って有効になる。このような魔術的な医学の考えが、17世紀の科学革命期に成立した機械論によって否定されたというのが、旧い考え方である。

しかし、エーコの『前日島』の16章「共感の粉(パウダ・オブ・シンバシー)」は、それとはだいぶ異なった武器軟膏についての考えを描いている。一つは、機械論者が積極的に武器軟膏を適正な治療法であると考えていることであり、もう一つは、この原理が、若者にとって恋愛の原理と重ね合わされて考えられたことである。小説では、パリに在住のイギリス人<ディグビー峡>が、主人公のロベルトに武器軟膏が効くありさまをまざまざと見せつけて、効力の原理を説明するときに、アグリッパのように世界霊や類似の原理を使うのは「食い合わせがどうのようのという迷信のようなもの」だと一刀両断に否定して、それにかわって彼の説明を提示するが、それが非常に機械論的なものであった。大切なのは原子の拡散と衝突であり、運動する原子が武器軟膏を説明するという。

もう一つ面白いことは、この原理と人間の精神の関係である。武器軟膏の効力を実感して、この説明を聞いて感心したロベルトは、それをさらに発展させるのだが、それは自然哲学ではなく、彼の恋心であった。ロベルトは当時リリアという女性に恋をしており、あるサロンで演説をして、武器軟膏の原理と恋心の原理は同じものであると主張する。「例えば、一人の男性が突然、愛らしい女性に出会ったとしましょう。そのとき、男性が赤面したり青ざめたりして顔色を変えるのは、使者であるこれらの体内精気が、対象に向かって駆け寄ってから想像力に戻る、その速度の度合いによるのです。さらに、これらの精気は、脳にだけではなく、同時に、大きな導管を通って心臓にも向かいます。この管は、生命精気を心臓から脳に導くもので、この精気は脳に達して動物精気になります。つまり、私たちの想像力が、外部の対象物から受け取った原子の一部を心臓に転送するのは、常にこの管を通じてのことで、まさに、この転送された原子こそが、生命精気を沸騰させる原因となり、心臓が張り裂けるほど膨張して失神することがあるのも、すべてはこの原子の働きによるものなのです」