記録と再現の問題ー中世イタリア商人からのメモ

今書き出している本で、記録と再現の問題を少し論じる部分がある。精神医療の歴史というものは、実際の治療の現場に関する史料が現れると、そのイメージが大きく変わるものである。この30年ほどの精神医療の歴史の本流は、少なくともイギリスにおいては、実際の治療の現場の史料を探して、それを組織的に分析する方法を考え、その成果と発展的な議論を展開することであった。私もイギリスについてそのような著作をしたし、今度は日本の精神医療に関してそのようなことをする。その結果として、多くの事象を「再現」できるだろう。昭和戦前期の精神医療はかくかくの特徴を持っていたという話である。歴史学の古典的な方法だと思う。

一つ気になっていることが、そこに忘却と再現というプロセスがあることである。精神医療が記録していることは、いったん忘却されたことである。そのすべてが打ち消されたというほど強く削除されたわけではないが、精神病院の中で起きたことは忘却されるものである。

そして、そのうえで、再現というプロセスの時期に入っている。精神病院のアーカイブズを見ると、再現されるようにできているということである。この忘却と再現の情報性を考えることが、私が書く書物の主題である。

中世のイタリア商人について、この記録が問題にされている。同じ時期の医学においても、症例をとることが確立し始める。

「人と人との関係を人為的に形成された<契約>として把握し、それを記録にとどめること」
アルベルティ「つねにインクに汚れた手をもつこと」「つねに手にペンを持つこと」

清水, 廣一郎. 中世イタリア商人の世界 : ルネサンス前夜の年代記. vol. 7, 平凡社, 1993. 平凡社ライブラリー.