中世ヨーロッパのハンセン病・再考

Timothy S. Miller and John W. Nesbitt, Walking Corpses: Leprosy in Byzantium and the Medieval West (Ithaca: Cornell University Press, 2014).

 

中世ヨーロッパのハンセン病の歴史は、医学史の定番メニューの一つ。今年はハンセン病を2回講義して、「聖アントニウスの火」を講義にできそうならそれで一回講義して、それから14世紀のぺスト(黒死病)を3回講義しようと思っている。ハンセン病の歴史については、今から30年ほど前の歴史学の世界で、中世社会に対して非常に批判的な史観が登場して、私もそれを熱心に学んだ。中世社会はハンセン病に対して苛烈な取り扱いをしたこと、患者とされるとさまざまな権利を奪われて共同体での居住を禁じられ街や村の外に追放されて患者たちだけで暮らすこと、ハンセン病患者の収容所は強制収容所の性格を持っていたこと、その背後にカトリック教会がハンセン病と罪のしるしと考え、ハンセン病を異端と同一視したことといった議論である。この議論の理論的な枠組みの一つであるR.I. Moore の本を読むと、かなり繊細で注意深い議論になっているが、要約するとどうしても、中世を否定的に捉える形になってしまう。

 

しかし、この否定的な見解に対して、中世社会がハンセン病患者に行った対応をよりポジティヴに捉える研究が近年では現れている。ポジティヴというか、より正確にいうと、より要素が多い構図の中に置いて、これまでのカトリック教会の権力と分割を強調した否定的な見解では見えてこなかった重要な特徴をあぶりだす動きが主流になっている。そのような動きをまとめたうえで、ビザンツにおけるハンセン病への対応という新しい史料的な研究を加えて、古代中世の「広い」ヨーロッパにおけるハンセン病の歴史の全面的な書き換えを試みた書物である。

 

結果は、必読中の必読である。少なくとも私のような、授業で教える教師としての必要で、新しい見解を知らなければならない学者にとっては、この本なしにはもう教えられないと思う。

 

最も重要なポイントを二つ。一つは共同体からの追放と法的権限の喪失という規則が、ローマ法ではなくゲルマン法の産物であるという議論。この規則がヨーロッパで初めて現れるのが、7世紀にロンバルディアの王であったロターリが出した法律であり、これはゲルマン法に基づいた規則であったという発見を軸に構成されている議論である。そして、これはビザンツの地域では法や規則とならなかったという「押さえ」が効いている。つまり、ハンセン病患者を追放するという規則は、キリスト教の内部から発展したものではなく、ゲルマン法という外部からの影響ではじめて成立したという議論が可能になる。

 

もう一つは、ハンセン病患者が収容された収容院の管理と運営についての議論。私たちは、罪の結果ハンセン病になった患者を、その罪に対して処罰するような空間として収容院を想像しがちであるが、断片的な証拠は、それとはまったく違う管理方式を示唆している。患者たちは、自分たちの中から管理の代表者を選ぶことになっていた。ある意味で民主的な管理運営の原則があったといってよい。そして、この意思決定には、女性の患者も参加していた証拠がある。また、この管理の代表者が患者の中から選ばれないというシステムが提案されたとき、患者たちは教皇に訴えて、この提案を取り下げさせたという。収容院には自治的なシステムもあったと考えるのがより適切である。

 

もう一つ、医学と医療に関する洞察。それは、ハンセン病の患者の身体の末端は痛みを感じないという点を中世の西ヨーロッパの医師たちが発見したという診断上の特徴と、ハンセン病は感染するという病因論である。前者は、ガレノスらの古典古代の医学や、アラビアのアヴィケンナにもなかった診断上の特徴であり、ビザンツ圏でもとなえられなかったが、西ヨーロッパの医師たちにとっては非常に重要な鍵になる特徴であった。西ヨーロッパの医師たちがこれを重視したのは、ゲルマン法に基づいた非常に強い排除の仕組みの中で通用する重要な診断基準が必要だったからである。感染説にも同じことが言えて、ビザンツの医師たちは感染説に基づくと、患者を隔離する非道な行為が正当化されるといって、これに積極的に反対したという。もちろん、理論上の可能性としては、ハンセン病は感染することもありえるが、現代の知見を適用すると、多くの人々は生まれながらの免疫をハンセン病に対して持っており、実際に見える姿としては、ハンセン病が感染しないという説も、感染するという説と同様に、一つの正統性を持っているといえる。この二つの医学上の特徴は、ハンセン病の患者をどう扱うのかという制度の問題が、医学の捉え方に大きな影響を与えた例であると考えられる。ここでも、ビザンツとの比較が議論の構築に効いている。

 

というわけで、必読の素晴らしい書物である。日本におけるハンセン病患者の収容をめぐる議論とも通じる部分が数多くあると思う。きちんとした実力がある歴史学者が翻訳すると、ヨーロッパだけでなく、日本のハンセン病に関する議論も大きく前進すると思う。