江戸時代の輸入薬(唐薬種)の統率のメカニズム

今井, 修平. "江戸中期における唐薬種の流通構造--幕藩制的流通構造の一典型として." 日本史研究, no. 169,  1976, pp. p1-29, https://ci.nii.ac.jp/naid/40002929209/.
 
今井, 修平. "大坂市場における株仲間発展の一形態--道修町薬種中買仲間を例として." ヒストリア, no. 72,  1976, pp. p31-46, https://ci.nii.ac.jp/naid/40003247347/.
 
今井, 修平. "近世後期における在方薬種業の展開ー平野組薬種屋・合薬屋仲間を中心にー." 日本近代の成立と展開:梅渓昇教授退官記念論文集, 1984, pp. 275-296.
 
野高, 宏之. "和薬改会所--幕府の薬種政策と薬種商の対応." 大阪の歴史, no. 60, 2002, pp. 53-92,  https://ci.nii.ac.jp/naid/40005663362/.
 
前者は18世紀の初頭から輸入薬(唐薬種)のメカニズムに関する基本的な情報を提供してくれる論文。1722年に徳川幕府の命令で、江戸、駿府、京都、堺、そして大阪に、それぞれの地の薬種商を集めて、輸入薬を輸入する仕組みと、それを国内に流通させる仕組みを決定した。供給は長崎、そしてそれが大阪に行き、そこから江戸、駿府、京都、堺に送られた。1780年の調査によると、長崎ー大阪という唯一のラインがあり、大阪から各地に分かれていたが、江戸においては、江戸を第二の拠点とするメカニズムがあり、江戸の薬種商が多さから買ったものを関東と東海に送るという仕組みが存在した。和薬は30万斤(一斤は600グラムほど)に対して輸入薬は10万斤、しかし代銀は和薬は515貫だが輸入薬は713貫である。輸入薬が単価が高価であったのだろうとのこと。しかし、18世紀にはアウトサイダー的な薬種商も存在し、それを排除するために、このメカニズムが強固されたという。
 
輸入薬品の変化をあらわす一つのツールとして重量に着目したグラフを作ってみた。1650年を1.00 として、それとの比較で 1711 年と1804年を数値で表現してみた。たしかに薬種は確実に大きくなっている。
 
 
 
1650
1711
1804
 
 
1650
1711
1804
raw silk
185586
50267
2413
 
raw silk
1.00
0.27
0.01
sugar
797110
4475490
1285600
 
sugar
1.00
5.61
1.61
minerals
251045
332762
270543
 
minerals
1.00
1.33
1.08
drugs
182934
778860
909218
 
drugs
1.00
4.26
4.97
leather
61003
778860
 
 
leather
1.00
12.77
 
textile fabric
156318
202146
14366
 
textile fabric
1.00
1.29
0.09
dye and paint
 
570814
412298
 
dye and paint
 
 
 

 

享保年間には重要な事件が起きていた。幕府採薬使として任命された丹羽正伯が江戸で江戸、大阪、京都などの薬種商たちを集め、和薬に関する整理を行った。新薬種12件のリストとサンプルを示し、その真偽改を指示した。大阪ではこれをもとに和薬を6グループに分類した。
 
新たに算出し流通させる和薬35種、ケシノヤニに和阿片という薬名をつけるなど
近年算出を始め、さらに増産流通させる和薬10種、ヤヘナリに和緑豆という薬名をつけるなど
和薬ではないので、流通を禁止する和薬22種、ウミガメやイシガメの甲羅は薬ではない
和薬ではないが、これまで通り流通させる和薬18種、薩摩小人参など
名称を変えて流通させる和薬26種、緑豆を野豆と改名するなど
偽物の混入をやめて流通させる和薬2種、和桑寄生にはヤドリギが混入していた