Porter, Roy. Health for Sale: Quackery in England, 1660-1850. Manchester University Press, 1989.
Helfand, William H. and Grolier Club. Quack, Quack, Quack: The Sellers of Nostrums in Prints, Posters, Ephemera & Books. Winterhouse edition, Grolier Club, 2002.
Schupbach, William, “Illustrations from the Wellcome Institute Library: Sequah: An English “American Medicine” – Man in 1890”, Medical History, 29(1985), 272-317
19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパやアメリカでは、薬の見世物売りという大規模な商業が成立していた。医師、薬種商、あるいは何の資格も持たない偽医者いかさま師などが営業者である。彼らが、町から町へ、あるいは村から村へを巡回する。そこで劇場風の仕方で薬の効果を強調して多くの人々に売りつけていた。17世紀にはすでに成立し、20世紀になっても継続している。たとえば1890年代のイギリスでは、イギリス生まれであるがアメリカから帰ってきた Sequah と自称する人物が、大規模なセールスを行っていた。ブラスバンドが大音量の演奏をして、彼はカウボーイの服装をして馬に乗って登場し、インディアンたちが助手となる。劇場風の仕掛けにおいて歯を抜いたり痛みを取ったりしてみせ、多くの人々がそれを買うという仕組みである。このいかさまは、アヘンやモルヒネなどの痛み止めで一時的な変化を起こしたものであると同時に、少なくとも見かけ上は、自然の力の薬であり、インディアンたちがはぐくんできた治療薬という自然治療主義のイデオロギーを用いている。<注 1889年の風刺画においては、イギリス首相のグラッドストーンを巡回する薬売りになぞらえて、アイルランドの自治法を売り込んでいるという手法も用いられている。>
同じ時期に日本においても、ある程度はこの広告の手法も用いられている。色づきの版画も数多く用いられている<確認すること> 新聞を開くと、無数の薬の広告が掲載されており、その中の面白い画像は、天野の面白いコメント付きの書物にまとめられている。この部分はイギリス、ヨーロッパ、アメリカの手法と一致している。江戸時代においても、人形浄瑠璃や歌舞伎の作品を利用して薬を宣伝することも存在する<確認すること> しかし、明治期以降になると、薬売りと見世物を合体させることが非合法になった。<確認すること> 林芙美子『風琴と魚の町』を見ると、彼女の義父がいかさま師の薬売りをして、にせの化粧品を売るとすぐに警察に逮捕されるシーンがある。