Public Domain の面白い記事。18世紀末から19世紀初頭のアメリカ合衆国における医学がどのようにヨーロッパと接したかという大きな側面があり、その中で植物園の導入を取り上げている。重要な医師は デイヴィッド・ホジック (David Hosack, 1769-1835)。父親はスコットランドから移住して、デイヴィッドはアメリカで生まれる。医学教育はアメリカで受けたが、18世紀末のエディンバラとロンドンに行き、水準が高い医学教育を受ける。そこでホジックが吸収してアメリカに設立しようと思ったのは植物園である。NYの郊外に1801年の9月にエルギン植物園を設立した。1,400種の植物が exotic, 250種が native というから、ヨーロッパ流が8割以上で、アメリカの植物が1割と2割の間と考えていいのだろう。
単行本が書かれているせいか、医学史や疾病史の古典的なストーリーも組み込まれている。疾病史でいうと、当時のニューイングランドやアメリカ合衆国が受けていた感染症との関係がわかる。発疹チフスや黄熱病などに対してどのようにホジックが植物で対応したかという問題である。もう一つの面白い点は、1788年にNYで起きた Doctor's Riot と呼ばれる事件とも若干関係がある。これは別の解剖学者が死体を盗んで解剖しており、それに対して民衆が暴動を起こしたという重要な事件である。
話を植物園に戻すと、これを使って日本とのパラレルを示唆しておくことができる。日本はこれよりも少し早いが、植物園・薬草園を導入している。西村三郎が『文明のなかの博物学』で書いている主題とも通じている。だいたいOK である(笑)