記録と再現の問題ー中世イタリア商人からのメモ

今書き出している本で、記録と再現の問題を少し論じる部分がある。精神医療の歴史というものは、実際の治療の現場に関する史料が現れると、そのイメージが大きく変わるものである。この30年ほどの精神医療の歴史の本流は、少なくともイギリスにおいては、実際の治療の現場の史料を探して、それを組織的に分析する方法を考え、その成果と発展的な議論を展開することであった。私もイギリスについてそのような著作をしたし、今度は日本の精神医療に関してそのようなことをする。その結果として、多くの事象を「再現」できるだろう。昭和戦前期の精神医療はかくかくの特徴を持っていたという話である。歴史学の古典的な方法だと思う。

一つ気になっていることが、そこに忘却と再現というプロセスがあることである。精神医療が記録していることは、いったん忘却されたことである。そのすべてが打ち消されたというほど強く削除されたわけではないが、精神病院の中で起きたことは忘却されるものである。

そして、そのうえで、再現というプロセスの時期に入っている。精神病院のアーカイブズを見ると、再現されるようにできているということである。この忘却と再現の情報性を考えることが、私が書く書物の主題である。

中世のイタリア商人について、この記録が問題にされている。同じ時期の医学においても、症例をとることが確立し始める。

「人と人との関係を人為的に形成された<契約>として把握し、それを記録にとどめること」
アルベルティ「つねにインクに汚れた手をもつこと」「つねに手にペンを持つこと」

清水, 廣一郎. 中世イタリア商人の世界 : ルネサンス前夜の年代記. vol. 7, 平凡社, 1993. 平凡社ライブラリー.

Ken Daimaru on military medicine in the Russo-Japanese War

Daimaru, K. (2017). Preserving the Health of the Army in Modern Japan.  Military Medicine in the  Russo-Japanese War.  . (PhD), University of Paris, Nanterre / Birkbeck, University of London, Paris /  London.   
 
Dr  Ken Daimaru has just received PhD from University of Paris, Nanterre in 2017.  He has also written its English version (about 100 pages) which was submitted for the examiners at Birkbeck, University of London.  The subject of his thesis is the experience of military medicine during the Russo-Japanese war.  I read only the conclusion of his English version and am impressed at the framework of contexualizing the injuries and diseases in the battlefield into the industrialization of the nation and the modernization of medical profession.  Several photographs of soldiers who were seriously injured on their bodies look like an anticipator of the European bodies in the First World War.  Dr Daimaru will first publish his thesis in French, and I am really looking forward to reading his works in English or Japanese.  
 
臺丸さんは、パリ大学ナンテール校から2017年に博士号を取得しました。同じ博士論文が100ページほどに短縮され、ロンドン大学のバークベック大学の審査員たちも読んだとのこと。主題は 日露戦争の戦争医学、それも戦争の傷病に対する医学の形成です。私がこの段階で読んだのは、100ページ程度の英訳の結論部分だけですが、議論の形式は、国民の産業化と医療職の近代化の枠組みで、苛烈な戦争の結果生じた傷病への対策を論じています。日本の傷病兵の写真があるのですが、第一次大戦で負傷したヨーロッパの兵士たちの身体を見るかのような錯覚を受けます。はやく完成された形で読みたいのですが、まずはフランス語での出版を目指し、次に英語での出版を準備されるとのこと。日本語で史料を読み、フランスと英語で学術的な発表ができる医学史の人材の登場です。これからのご活躍が楽しみです。

長与又郎のセメント胸像

學士會会報の930号の表紙は、東大医学部の学部長であった長与又郎の胸像である。長与又郎(1878-1941)は名家に生まれた著名な東大医学部の教授である。父親は長与専斎(1838-1902)で、肥前国の出身で適塾や長崎のポンぺに学び、明治政府の衛生局長となって初期の医学と公衆衛生の体制を作った人物である。長与又郎はその四男で、東大医学部とハイデルベルク大学に学んでガンの権威となり、東大総長にもなった。
面白い話は、今回の会報の表紙に用いられているのは、胸像の複製品であるということである。昭和18年に「金属類回収令」を出して、国民に金属を供出することを命じた。帝国大学も従い、学内各所の優れた教授のブロンズ製の胸像を提供した。その時に、長与の胸像はセメントで複製が作られたという。もともとのブロンズ製の長与像は供出され、その複製のセメント製の長与像が医学部によって保有されていたという。
最後に、この話についているもう一つのひねり。セメント像はわりと劣化しやすく、「劣化が進み、粗大ゴミ化していた」というものになっていたが、今回、東大総合研究博物館は、劣化したセメント像にブロンズ彩色を施し、非常に立派に見えるものになった。立派にするか、セメントらしさを保存するのか、論争があったのかな。東大に行ったら、複製のセメント製で、平成のブロンズ彩色を持ったこの胸像を拝見してこよう。

シェイクスピアの義理の息子である17世紀の医師の症例誌

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Lane, J. (1996). John Hall and his patients : casebook of a Stratford practitioner: Alan Sutton.
 
大学院の授業で良いテキストを取り上げることができた。基本は17世紀のイギリスの医師の症例記録である。医師の名前は John Hall (1575-1635) である。ケンブリッジで学び、おそらくモンペリエで医学をさらに学んだのではないかと考えられている。学位の記録のようなものはない。彼が有名になったのは、優れた症例誌を残しているからである。ストラトフォード・アポン・エイヴォンとその周囲にかなり広がっている地域から訪ねてきた患者についての記録であり、それぞれの患者について別の情報を調べることができる。そのために、症例誌を一つの史料だけではなく複数のタイプの史料から立体的に理解することができる。もう一つの面白い理由は、シェイクスピアの娘のスザンナと結婚して、シェイクスピアを研究している学者たちが、この医者とシェイクスピアの間に密接な関係があったかどうかを論じたこと、シェイクスピアの作品に登場するのかどうかという理由であるが、私はそこまで勉強している時間がない。
 
ホールはピューリタンである。この症例誌がピューリタンの医師が書いたものかどうかというのは、たぶんそうであろうと思う。治療法の詳細の前後を「神の意志に従って」「神が祝福して」というような神の中心的な構文を入れることが多い。ただ、キリスト教の教派という要因がどこまで処方に関与したのかはわからない。また、患者の側が、あらかじめ知っていた特定の処方を希望するという習慣は、この時期にはむしろ一般的であったから、処方を決める力がかなり患者の側にあることも事実である。学部の学生は、この史料などを落ち着いて読むと、17世紀の臨床の構造がよくわかる。
 
治療というのは、医学史の中でも学術的に高い水準の問題である。この症例誌は、150ほどの患者について、それぞれに行った治療の細かい方法をきちんと詳細に書くことが中心であるものである。そして、治療の歴史は、処方の読み方、略語を用いられている薬は何か、重さの単位は何かといった予備知識がたくさん必要である。この予備知識は、本気になればそれほど難しくはないと思う。ただ、私がその知識を完璧にマスターしないとできない研究をしたことはない。一度治療法について学術的な論文を書いたけれども、それは電気ショック療法などの特定の療法を調べたものであり、患者が毎日貰っている薬の処方は残っているのだが、読むのがかなり難しい。今回の本のために、男女と私費公費の違いで、数十点ずつくらい選んで、毎日の処方をきちんと読む方法をマスターして書いてみよう。というか、私が読めるものを読んでみるというのかな(笑)
 
冒頭の写真は、17世紀のイングランドと20世紀の日本の精神病院の処方の部分である。薬剤の名称や重さの記号などが、うまく確定するのが最初は難しいのがよくわかると思います。
 
 

サルトルとラカンとメスカリン

www.thevintagenews.com

 

FBでポルス先生がアップロードしたサイトで、サルトルとメスカリンとラカンに関する面白い記事。

サルトル1920年代から30年代にパリの大学校でメスカリンなどのクスリを用いたこと、その刺激を通じてインスピレーションを得ようとしたこと、その結果さまざまな幻覚が現れたこと、カニが登場する幻覚はその後普通の暮らしに戻っても数年も続いたこと、これをラカンが分析し、それがうまくいって、サルトルラカンの間に信頼と友情が生まれたこと、ラカンによれば、メスカリンによって思春期に生じた心配と孤立感が、カニの幻覚によって解決されたこと。サルトルが子供の頃に感じた海の生き物への恐怖も表現しているとのこと。ラカンの解釈が正しいかどうかは別にして、面白いことは事実だし、その解釈で二人も皆さんもいいやという安心感がありますね(笑)

先日、コクトーが同時期の日本にクスリを持ち込んだことも書いた。軍の医学が行うもとの並んで、ラジカルな左翼が行うクスリの利用もマークしておこう。

花柳病と性欲と食餌について

福田, 眞人.(2009). 病院と病気 (Vol. 55): ゆまに書房.
 
大正期と昭和戦前期に刊行された三冊の書物を復刻し、福田先生の解説を付した書物である。三冊の書物は、澤田順次郎『花柳病院』(1913)、ヨゼフ・ベルトラン『神山癩病院概況』(1914)、杉山幹『脳病院風景』(1937)である。私は『脳病院風景』を読み、精神病院を表象する言説のことを考えてきた。江戸風の粋な感じもするし、行政風の官僚型の感覚もある、不思議な本である。今回、たまたま澤田順次郎『花柳病院』を読んでみた。著者の澤田は医師ではなく物書きで、ことに性や性科学、発生学、遺伝、優生学などについて数多くの書物を書いているという。それが関係するのかどうかわからないが、なんておかしい部分だろうと改めて思った箇所がある。色欲と食餌の問題である。
 
花柳病に関して、面白い言説が多い。一番多いのは軍人で、次いで学生、商人、労働者の順であり、軍人が多いのは発見の仕組みがあるからだとか、ルーデサックは一個につき3-4銭、一ダースで30-40銭、一回使用するごとにルーデサックを捨てるのではなく、きちんと洗ってたたんでおくと30-40回は使えるものだとか、色々なことを知れる本である。一番面白かったのが、何を食べると色欲が高まるかという指導である。獣肉でいうと、色欲をあおる効果が高い順で、豚肉、牛肉、羊肉であるという。一位が豚肉というのが私の感覚と違う。牛乳は色欲を興奮させるものではないというのは共感できるが、鳥の卵は色欲を著しく大きくするというのは私の卵好きと違う感じがする。カメの卵も色欲を強くするというのは、私が一度も食べたことがない食品なので、それでいい。魚は色欲を興奮させるが、カニはその効果がないというのは、私の直感の逆である。小麦は色欲を強めるが、お米のご飯はその効果がないというのも、よくわからない。一番読み直したのが、色欲を強くするお酒で、一位はエールと黒ビール、次にワイン、日本酒はたいしたことがないという議論がよくわからなくて、確認のためにもう一度読み直した。エールを飲むと色欲が湧くというのは、私が持っているエールの感覚の逆であるかのように思う。
この成立と不思議さは楽しい議論になるだろう。現役を退職して小難しい本を書くのをやめて楽しい医学史の本を書けるようになったら、こんな方向の本でも書いてみようかしらという思いが現れた。これは加齢ということである。ううむ(笑)