結核の歴史

必要があって、砂原茂一・上田敏『ある病気の運命』(東京:東京大学出版会、1984)を読む。

砂原と上田の対談形式の話。砂原は日本の結核医学の中心人物で、上田はその後輩にあたる。日本の結核対策は、一時は保健医療費の半分がつぎこまれたといわれる巨大な医療政策・研究プロジェクトで、その政策が成功して結核そのものが珍しい病気になったとき、その政策の生き証人・語り部としての砂原に思うところを語っていただいたというのが、この書物の成り立ちである。

対談形式の談論風発だから、構成は弱いけれども、たくさんの貴重な情報と洞察が詰まっている。結核の医学史は、国文学研究にたとえると源氏物語で、それはそれは複雑で奥が深く、それに較べたら、例えば麻疹なんかは、医学史のお子ちゃまにふさわしい病気である(笑)。この本は、その複雑さの片鱗がわかる対談である。いつか、結核の研究をするときには、帰ってこよう。

これは、特にこの書物だけに言えることではなく、この時代の日本の医学全般に言えることだけれども、書いておこう。例えば本書19ページで筆者は次のように書いている。

「日本ではどうしてこんなに結核が減らなかったのでしょう。明治以来<近代化>の優等生であったはずなのに、なぜ結核だけは「進歩」しなかったのか。全体の生活レヴェルや医学のレヴェルからいって、特効薬の出る前にもっと欧米に近づいてもよかったのではないか。(中略)今世紀の初め、1900年と1936年を較べると、アメリカの結核の死亡率は70%減っている、ドイツは76%、フランスは52%減っている。ところが、日本はその間に35%逆に増えている。」

ここで語られていること自体は、とても面白いし、とても重要である。しかし、この筆者たちが戦前の日本と較べているのは、いつでも、アメリカ・ドイツ・イギリス・フランスである。いわゆる世界の一等国、欧米列強という諸国である。日本は、確かに軍事力とか植民地の広さとか、そういったことでは、確かに列強の一つだったかもしれない。しかし、それは、比較的競争相手がいないアジアで軍事大国・経済大国であったということである。世界の先進国との比較で、健康状態の出発点となる国民の豊かさに注目すると、そもそもそういった国と比較することに意味があるのかという疑問を持たざるをえない。例えば、1930年の国民一人あたりのGDPを見ると、日本は世界で一番高い国(イギリス)の5割から6割くらいである。当時の日本が、当時のイギリスやアメリカと結核死亡率を較べて、自分たちの国はおかしいといっているのは、滑稽ではないだろうか?較べる対象を間違っていないだろうか?

あるいは、福祉国家史観歴史学者も、欧米諸国と較べて日本の結核死亡率が高かったことを引いて、日本が軍事国家だったとか、国民の健康福祉が遅れていたとか、そういうことを言いがちである。当時の日本が軍事国家であったことも健康福祉が遅れていたことも、それはそれで正しい。日本は富を軍事予算に回したから、健康指標の改善が遅れたのだという論者もいて、これはそれなりに説得力を持った説明だと思う。しかし、そのことと、日本の結核死亡率が高かったことは、どういう意味で関係があるのだろうか?

あえてこういう言い方をすると、現在の世界で、一人当たりGDPが日本の5割から6割くらいの国、具体的に名前を出すと、赤道ギニアとかセイシェルとかラトヴィアとかいった国が、自国の健康指標の一つを日本と較べて、それが日本より大きく低いことが「その国に特徴的な」問題であるといったとしたら、我々を戸惑わせる。そのことは、その国に特徴的な問題であるというより、所得と健康指標の間には密接な関係があるという、ある意味で当たり前のことではないだろうか。