藤野豊編『大同保育隊報告』(東京:不二出版、2008)
十五年戦争極秘資料集という大部の復刻のシリーズがあり、日本の軍隊、特に陸軍に関連する医学の資料が多く含まれていて、とても役に立つ。清水寛先生が編集された全7冊の『戦争と障害者』は、日本の戦争と精神病・神経病についての基本的な資料である。私は見ていないが、常石敬一先生が編集した陸軍軍医学校防疫研究報告の全8冊も、731部隊に関する重要な資料だと思う。それ以外にも、花柳病、アヘン、東亜諸民族の死亡調査、栄養調査、軍医団の陣中日誌など、必要があったら見なければならない資料が数多く復刻されている。ただ、せっかく復刻されているのだが、医学史の方法論を学んでいる若手の学者はごく少ないし、それを教えることができる教員はもっと少ないので、あまり利用されているという印象は持っていない。
藤野豊先生が編集された『大同保育隊報告』は、日中戦争中の1937年に中国山西省の大同に設置された部隊である。第二十六師団であるのとこと。ここに1942年に「保育隊」が設けられ、これを大同保育隊といい、それに関連する資料が復刻されているのが本書である。核になるのは、その保育隊の3点の報告書である。保育隊というのは、通常の兵に較べて身体・精神的に劣っていると判断された新入兵に対して特別な訓練を施すために設立された、特殊コースである。身体の抵抗力が低く、潜伏性病弱素質を持っている者に対して、衛生的な見地に立って体力を増進させる訓練を施し、最終的には通常の兵と同じように仕上げるためのルートであった。
この、身体・精神的に劣っているということは、さらに、結核関連、心臓関連、精神障害の三つの疾病群に分類されていた。結核の中には、結核性体質、結核系統、肺尖炎、瘰癧(るいれき)などが並ぶ。「痔瘻」も上がられているが、これはもちろん結核性の痔瘻のことであるだろう。心臓関連は、心臓病と脚気(心臓脚気)があげられている。精神障害は、精神薄弱や低能という言葉が使われている。しかし、興味深いことに、保育隊に実際に入ったものたちは、ほとんどが結核関連であったという。裏返すと、精神障害関連は、発見されたり、何かをしなければならないということになった場合は、別の経路で処置されたということになる。国府台の陸軍病院の精神科関連の記録を見ると、戦争を経験したというより、初年兵の段階で「発病」して国府台に送られるケースが多い。これは、保育隊に入れるのと同じ仕組みの中で発生した国府台の患者なのだろうか。