Kobachou 祭りとEBM

未読山の中から、エビデンス・ベイスド・メディシン(EBM) を分析したものを読む。文献は、Daly, Jeanne, Evidence-Based Medicine and the Search for a Science of Clinical Care (Berkeley: University of California Press, 2005).

全体にとても面白そうだったけれども、EBMの起源を解説した章だけ読んだ。EBMの「ゴッドファーザー」は、アルヴァン・ファインシュタインという医者である。数学を学び、彼自身に言わせると「数学者としては凡庸になりそうだったから」、シカゴとイェールで医学を学ぶ。卒業後に、NY大学の、リューマチ熱の子供を収容する施設(アーヴィントン・ハウス)で仕事をしていたときに、当時の診断と治療の不確実性を強く意識し、数学の知識を生かして、臨床に統計的な手法を持ち込んで、ある診断の「スペクトラム」を定めて、それに応じて治療を選択する意思決定する理論を構築する。これは、従来の徒弟修業的で権威主義的な方法、すなわち、教師や先輩の「経験」や「カン」に基づいて診断と治療を行う臨床医学の習得法を、科学的なものに改めるものであった。それと同時に、実験室で得られた理論を機械的に適用する、臨床医学基礎医学に服従している状態を改革し、臨床医学が独自の理論を持つ方向を開くものであった。1962年にイェールに戻ったファインシュタインは、1960年代に臨床医学の科学的な基礎を築く方法に関する一連の論文を発表した。当初、ファインシュタインはこの理論に適切な名称を与えていなかったが、その統計的な手法は疫学(epidemiology)を思わせるものであったため、臨床疫学clinical epidemiology と呼ぶにいたった。

この、アメリカで作られた臨床疫学をさらに発展・拡大させたのが、デンマークのヘンリック・ヴルフ (Henrik Wulff)であった。ヴルフの理論は哲学的・思想的な広がりを持っており、ハバーマスの理論に沿って臨床の理論を構築した。ヴルフによれば、バイオメディカルな基礎科学は、病気について機械的なモデルを強調するものであり、身体機械の不調と、それを直す治療法が対応して理解されている。それに対して、臨床医学は、これよりも広い視点を持たなければならないとヴルフは考える。1) 自然を支配するための技術的な知、2) 人とコミュニケートするための実践的な知、3) 人を何かの負荷から解放するための解放的な知。 バイオメディカルな視点のみにとらわれている臨床は、1) のタイプの知であり、2) と 3) を欠いているとヴルフは言う。

このブログを始めたばかりで、何を書いていいのか分からなかったときに、kobachou さんの「負荷」は、北極星のように、導きの星になってくれた。その文章の切れ、その不思議な広がりを持つ記事。

Nonajun さん、低人さんから、kobachou 祭りをしていると伺いました。記事の中で「負荷」という一語だけを使って祭りに参加したというのもおこがましいけれども、この記事を、kobachou さんに。