メリー・クリスマスとよいお年を / I wish you a Merry Christmas and a Happy New Year

みなさま、今年もお世話になりました。メリー・クリスマスとよいお年をお過ごしくださいませ。新規事業のサンタに精神医学的な詰問をされないように、来年は少なく望んでそれを確実に仕上げるようにいたします!

 

I wish you a merry Christmas and a happy New Year.  My dear Santa Therapist, I will make my wish list very short and simple, and do it well next year.   

 

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The illustrations is taken from Psychiatric Times, 23 Dec 2017.

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www.psychiatrictimes.com

感染症かるた―黄熱病はなぜ「う」なのか

しばらく前に出したクイズ。感染症かるたの「黄熱病」は、絵が野口英世で取り字は「う」になっている。それはなぜか。正解を解説します。
 
黄熱病と聞いて野口英世の名前を思い出すのは日本だけである。野口の黄熱病の病原体発見はそもそも失敗したし、それも完全に見当違いの方法で失敗した。黄熱病の病原体について、世界の多くの研究者たちの間ではウィルスではないかという方向が確立していた時に、「いや、梅毒のスピロヘータの仲間だ」という当時の基準で言って無理がある仮説に従ったプロジェクトだった。このあたりのことは、私が読んだ範囲では筑波常治先生の『野口英世ー名声に生き抜いた生涯』が情け容赦なく書いている。ただ、野口には梅毒菌が きわめて重篤な精神病の進行麻痺(GPI) の原因であることを実証したという輝かしい業績があることも付言しておく。
 
黄熱病について野口英世よりもはるかに有名なのは人体実験である。アメリカの軍医が1900年に、ハバナの地域で、志願者を二つにわけてキャンプ・ラザアという小屋にいれ、片方を不潔だけれども蚊(ネッタイシマカ)がいない部分に、もう片方を清潔だけれども蚊がいる部分に入れた。黄熱病の患者が出たのは後者だけで、この実験で、黄熱病は蚊が媒介することを証明した。この軍医の名前がウォルター・リード (1851-1902)である。
 
それがわかれば、黄熱病の取り字がなぜ「う」であるかわかると思う。読み札はこのようになっている。
 
ウォルター・リード 蚊を駆除して パナマ運河建設成功 野口英世も黄熱を研究
 
というわけで、黄熱病の取り字は、ウォルター・リードの「う」でした。
 
ただ、この読み札自体も少しおかしくて、リードが死んだのは1902年、パナマ運河が完成したのは1914年、アメリカがフランスから引き継いだのも1904年である。まあ、そのあたりはやんわりと考えてください(笑)

19世紀イギリスの「奇人」James Lucas と『ジェイン・エア』のロチェスター夫人

 
今日の Oxford DNB は James Lucas (1813-1874).  DNB で時々出てきて愛読されている「変な有名人」である。エントリーの職業項目は eccentric だから、まさしく「奇人」として人名録に採用されていることになる。
 
幼いころから数々の奇行をなし、現実の世界に生きているというよりも、自分の空想の世界で生きていた人物である。通常の仕事や社交はできなかったが、父親が富裕な商人で地主になったので、別に問題ではなく、自宅と自室に引きこもって過ごしていた。自室には25年ほど籠もり、そこから出ることなく過ごしたとのこと。もちろん変人で家族や隣人から孤立していたが、ディケンズが書いて有名人になり、死ぬとすぐに伝記が掛かれ、彼を記念したマグカップやティーセットが作られたという。イギリスの精神医学雑誌にD.H. Tuke が書いたメモワールがあり、DNBの記述も、ほぼこの回想に依存している。Tuke の回想は、現在の British Journal of Psychiatry で、当時の Journal of Mental Science に掲載されている。サイトは以下の通り。ちなみにDNBが引くテュークの回想の巻号数は一号ずれているので注意されたい。
 
Tuke, Daniel Hack. "The Hermit of Red-Coat's Green." The British Journal of Psychiatry 20, no. 91 (1874):  361-72.
 
 
色々な使い方ができる有名な奇人である。精神疾患かどうかについては当時から議論があった。私は、精神医療の場が家庭から精神病院に移行するときの様子を説するのによくこの事例や他の事例を使い、そのついでに『ジェイン・エア』のロチェスター夫人の話をはさむことにしている。精神病患者は、もともと患者の家庭で監禁され管理され勝手なことをしているのが当たり前である。19世紀は、精神病院に収容して医師が管理するというシステムが急速に進展していたが、富裕な階層では医師は脇役で家庭で管理するのがまだ一般的な原則であったと考えて良い。だから、富裕層向けの精神病院は、それが富裕層の家庭を模倣したり、管理する人材なども富裕層へのサービスの階層が提供していた。ルーカスの例は、変わり者が家の中に閉じこもって変なことをして悪名を高めていた例であり、ロチェスター夫人は、狂った妻が屋根裏に閉じ込められて、それがあまりうまくいかなくて吠えたり暴れたりしていた例である。
 
 
 
 

魯迅の階段教室と慶應医学部の写真展

 
VISA カードの会員誌の仙台の紹介記事に「魯迅の階段教室」が掲載されていた。これは「藤野先生」にも登場する有名な仙台医学校の医学教室で、魯迅が1年と少し仙台で医学を学んだ時の印象的な教室。上下の窓を階段状の床にあわせて設けた外観で、窓が次第に下がっているような不思議な外観になっている。そこで日露戦争の幻灯が写され、そこに中国の青年の処刑の様子と、それに日本の学生が歓声をあげる様子に魯迅がショックを受けて、医学を諦めて文学を志したという有名なエピソードがある。魯迅が記すこのエピソードが実際に医学校の教室で起きたことかどうかについては、いまだそれを確実に示す証拠は見つかっていない。
 

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ついでに言うと、慶應信濃町の医学部でも、いま古い建物の写真展を行っている。信濃町はいま最先端の機器を備えた建物が続々と立っているが、戦前の旧い建物が二つほどある。図書館である北里医学図書館の建物が誰にも好かれているが、なにせ現用の図書館で、ばりばりと使われている空間だから、人にみせることはちょっと難しい。その建物の一部を見ることができる企画を含めて、3月まで慶應医学部の建築の写真展が開催されているので、ぜひどうぞ。
 
 

精神分裂病と薬物療法 秋元実践精神医学講義

秋元, 波留夫. 実践精神医学講義. 日本文化科学社, 2002.
 
東大精神科の教授であった秋元の書物。精神医学講義と銘打っているが、実際に講義として使われた書物かどうかは分からない。もともと秋元が教職を退いてから書籍化された書物でもあるし、また日本の精神医学史に関する個人的な覚書にあたる記述が非常に多い。秋元の史観に従うかどうかは別として、手元に持っていると便利な書物である。
 
授業で精神疾患、ことに統合失調症精神分裂病)に対する薬物療法の効果の話をするときに、秋元が引きやすいデータを出している。昭和13年(1938) から昭和58年(1983年)までの分裂病の長期予後の数字である。東大と金沢大学の調査報告のまとめであるとのこと。いつかもっとオリジナルに近い数字を見なければならないが、メッセージは鮮明である。
 
1938年には分裂病は74 % が未治で人格が荒廃した状態で生き続ける疾病であった。よく分からない理由で治ってしまうケースも17%あったが、医学ができることはごく少なかった。不完全寛解と軽快を足してもわずか9%であった。それが、1952年のクロルプロマジンの導入が象徴する治療法の進歩によって状況は激変した。これは、完全寛解が劇的に増加したという形ではなく、不完全寛解と軽症を足した数字を較べると分かり、医療によってほぼ治った状態、あるいは軽症な状態にすることができるようになったということである。1983年には、未治患者はわずか18%になり、66% の患者の症状をかなり軽症なものにすることができた。
 
皆さまもご承知のように、このように治療法が劇的に改善した時代に、日本の精神病床数が3万から30万と10倍に増えている。諸外国はもちろん精神病床は激減している。これはなぜか。この問いには絶対に答えること。
 
 
1938
1958
1965
1983
完全寛解
17%
29%
30%
26%
不完全寛解
5%
16%
31%
35%
軽快
4%
21%
17%
21%
未治
74%
35%
22%
18%
 

フェミニズムと性の商品化の議論

http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/29/idol-and-lgbt_n_16330256.html

 

中村, 香住. "フェミニズムを生活者の手に取り戻すために ─「性の商品化」に対する現代女性の「気分」の分析を通して." 新社会学研究, no. 2 (2017): 176-95.

私は慶應日吉で長沖先生と一緒にジェンダー論という授業を開講している。長沖先生はもともとは生物学者で、私は医学史の研究者で必ずしもジェンダーは専門ではないので、まあ二人でなんとか授業を成立させている感じだが、二人とも気を長く持って、なんかおかしなジェンダー論が楽しく続いた。長沖先生が2019年度で退職される予定で、その後はどうなるのだろうかという脈絡の中で長沖先生に非常勤をお願いしようかと思っている若い先生の論文を頂いたので、読んでみた。もとは慶應修士論文であるとのこと。小難しい社会学的な理論の部分は読み飛ばしたが、全体として「気分」を使おうという議論はとても面白かった。検索したら、慶應らしいはきはきとした感じで、インタビューなどを受けている。きっと、日吉のジェンダー論のスター教師になっていくのだろうと思う。

感染症かるたークイズ付きです!

感染症かるた』をアマゾンで買って、一人でしばらく絵を観たり札の字句を読んだりして、まず原理を理解しようとしていた。カルタを本気で作ったことなどないが、とてもよくできた作品だと思う。
 
過去と現在のさまざまな感染症に関する知識が、カルタの札の字句と絵札のイラストになっている。札の裏と表には違う字句が書いている。そして、どちらかの字句を読んで、その絵札を取る。表の字句は条件反射的に、最初の言葉を聞くとどの絵札を探せばいいかわかる。裏の字句は、そこからしばらく考えないと、どの札を取ればいいのか分からない仕組みになっている。小さな子供がいる場合には札の表を読み、青年や上級者の場合には裏を読んで絵札を予想してとる遊びになる。
 
たとえば「あ」を例にとると、表の字句は「アフリカの 風土病だよ エボラ熱 都市に入って 飛行機に乗って」と書かれている。「あ」で始まっているから、「あ」と書いてある絵札を取ればいい。一方、裏の字句は「一類の もっとも危険な 出血熱 世界に飛び出す エボラ出血熱」である。絵札の端に「エボラ出血熱」と書いてあるからそれを探してもいいし、エボラ出血熱がコウモリによって媒介されることを知っている人は、コウモリが描かれている絵札をとればよい。結構難しく作ってあって、やってみるとおそらく面白い仕掛けになっていると思う。
 

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そこで懐かしの企画、皆さまにクイズです! 絵札を4枚提示します。「う」には野口英世のイラストが描いてあり、アイテムは黄熱病。「さ」には井戸と死神が描いてあり、アイテムはコレラ。「ゆ」はネズミとマスクが描いてあり、アイテムはペスト。そして「る」は江戸の美人画でアイテムは梅毒。なぜその字句が選ばれているのか、説明してくださいませ。どれも難問だと思いますが、「う」がいちばんやさしく、「ゆ」と「る」が難問。「さ」は、なぜ井戸と死神かはわかると思いますが、なぜ「さ」なのかというのは、ふざけたつなぎになっています。