医学史と建築史

医学理論・医療現場の組織化が、病院の建築・設計に与えた影響を論じた論文を読む。
 個人的な話をさせてもらうと、建築史と医学史のクロスオーバーは、いつか使えるようになってみたい分析視角の一つである。サンドラ・カヴァロのバロック期イタリアの慈善病院の研究や、クリスティーヌ・スティーヴンソンのイギリスの寄付病院の研究、あるいは、建築と社会史一般まで話を広げればジルアードの古典を読むと、とても面白い。精神病院の歴史をインテンスに研究していたときがチャンスだったのだけれども、色々な理由で取り組めなかった。その理由の一つは、「図面が読めない」ということである。建築の図面から、その中で実際に医者だとか看護婦だとか患者だとかが動いて何かをしている情景が頭に浮かんでこないのである。これではいけないので、しばらく、空間的な想像力を鍛えようと思っている。
 そういう私自身の関心もあって、この論文はとても面白かった。カヴァロにせよスティーヴンソンにせよ、エリートたちの力の象徴として病院建築を読んでいたが、この論文は医療の現場の関心に分析の重心が置かれている。その意味で、権力の象徴(意味内容)というより権力の形態(文法)を建築に読み込んだフーコーパノプティコンの議論に似ている。しかし、フーコーが一つの監獄に権力は一つと考えているふしがあるのに対し、この論文で一番面白かったのは、近現代の病院の建築に反映される権力のありかたを、そもそも複合的・重層的なものだと捉えていることである。言われてみれば当たり前の話だが、近現代の病院は(そしておそらく監獄も)、複雑な分業があり利害とステータスが違う複数の職業集団が存在する空間である。その複雑性を読もうとした部分が、とても新鮮だった。あと、細菌学のインパクトとか、病院患者層のジェントリフィケーションなどのおなじみの議論も、建築の話に射影してみると、とても新鮮だった。いま研究している日本の精神病院の図面を手に入れて、きちんと人の同線を考えてみようかな、という気にさせられた。 

文献はJeanne Kisacky, “Restructuring Isolation: Hospital Architecture, Medicine, and Disease Prevention”, Bulletin of the History of Medicine, 79(2005), 1-49. 文中で言及した書物は Sandra Cavallo, Charity and Power in Early Modern Italy: Benefactors and Their Motives in Turin, 1541-1789 (Cambridge: Cambridge University Press, 1995); Christine Stevenson, Medicine and Magnificence: British Hospital and Asylum Architecture, 1660-1815 (New Haven: Yale University Press, 2001); Mark Girouard, Life in the English Country House (New Haven: Yale University Press, 1993) 最後の書物には、『英国のカントリー・ハウス : 貴族の生活と建築の歴史』という日本語訳があるようです。