必要があって、19世紀フランスの医療職専門化の試みを論じた古典的な論文を読む。文献は、Ramsey, Mattew, “Medical Power and Popular Medicine: Illegal Healers in Nineteenth-Century France”, Journal of Social History, 10(1977), 560-587.
近代以降の諸国において、医療が専門職になり、有資格者だけが国家に保証されて医療を独占し、無資格者の医療を非合法化することが進展した。それとおおまかにいって時を同じくして、フーコーが「バイオパワー」と呼ぶものが成立し、身体についての監視的・規律的な権力が確立された。-これが近代医学史の教科書的な理解であるが、歴史学者たちは、この図式の重要性を認めながらも、注意深いスタンスをとっている。私がこの論文を20年ほど前に読んだときには、若くてリサーチの経験がない学生で、そういった学生のご多分にもれず熱烈なフーコー主義者であったが、この論文を読んで、頭から冷水を浴びせられたかのように、自分の無知を思い知った。「『自分が何を知らないのか』を知る」という、まるでソクラテスの「無知の知」のような経験であった。一言でいうと、医療の専門職化と無資格者の非合法化というのは、法律の文言なり医者たちの理想なりの水準で起きていたことであり、実際の医療者と無資格医療者たちの関係には、はるかに複雑であったこと、そしてそこには、こういう概念装置では記述できない重要な構造線があったことを教えてくれた論文だからである。
重要な洞察というのはいくつもあるが、そこから二つ。一つは、無資格の医療者たちには複数のタイプがあったことである。町から町に回って歩く派手な巡回型の医療者と、村に定住している医療者である。前者にたいしては、乞食と浮浪を警戒する警察は、医者たちの敵意を共有していたが、後者については、医者たちは冷たくあしらわれた。(治療を受けた村人たちが感謝している治療者を、いったい何の罪状で裁くというのか。)もう一つは、無資格医療者たちをどのように定義し攻撃すればいいかという関心から、科学の重視、トレーニングの重視、医療倫理の観念、そして経済的に合理的な報酬の観念など、医療職形成の柱となる理念が作られたことである。特に、長期間のトレーニングへの投資に見合った報酬が、国家による独占という形によって医療職に保証されるべきであるという考えは、経済的に合理的な報酬というブルジョワジーに典型的な理念を、国家を通じて実現しようとしていたことをまさに象徴している。