朝鮮における植民地衛生の文化史についての論文を読む。
昨日に続いて、新着雑誌からである。統監府・植民地時代の朝鮮(というのだろうか)の衛生の文化史の論文である。
日露戦争以降に韓国に進出した日本人たちは、当地の不潔な習慣に眉をしかめた記述を多く残している。特に彼らが軽蔑の対象としたのは、排泄物が私的な居住空間や公的な生活空間にあふれている状況である。日本も実は大差ないという意識を持ちつつも、彼らの「民族誌的」記述には、部屋の中で小用を足した尿瓶のすぐ横で歯磨きをするような韓国人の女性を「野蛮」だとする意識が露骨に現れている。面白いのは、論文では必ずしも完全には明らかになっていないが、この不潔さを、韓国人の個人主義というか、韓国の家庭の閉鎖性と結びつけようとする、彼らのロジックである。個人や個々の家が、共同体の他のメンバーのことを考えないから、彼らは平気でし尿を川や街に捨てるのだ、というようなロジックだろうか。この閉鎖性をほぐしていって、国家と衛生の個々のユニットを媒介する自治組織や地方の有力者などを用いて衛生意識を高める社会的な組織を作ろうというのが、相次ぐコレラ流行の中で形成された日本の衛生戦略の目標であった。しかし、韓国では、このような手段は否定され、衛生警察による強権的な直接介入で閉鎖性を突破しようという戦略が中心になったという。このあたり、この論文では他の研究書に依拠して論じられている部分なので、具体的にどうなのか想像するしかないが、昔、飯島さんに話を聞いたことがある台湾における衛生自治組織の編成と、だいぶ様子が違うようである。
1907年にコレラが流行した折、後の大正天皇となる親王の下賜金3万円で漢城衛生会が設立される。し尿処理や溝渠の清掃や公衆便所、柳の街路樹の整備などの活動を行い、状況は改善されるようだ。この中で面白いのが、し尿処理である。かつては日本の都市と同様に、し尿を買い取る業者がやってきて、農村に肥料として売っていた。ところが、衛生改革の名の下にこの作業を日本の衛生業者が独占し、10-20日に一回しか収集にこないので、し尿が滞り、衛生状態はむしろ悪化したという。さらに、この業者はかえって料金を要求したので、都市の貧民はこの料金を払わなかったことも、衛生状態悪化の理由になった。一方で農村では肥料が値上がりし、作物の実りは悪化したという。
伝統的なし尿処理から、近代的なそれに変わるときのシステムの混乱によって、東京の衛生状態が悪化するというパターンは、すでに永島剛が一連の論文で指摘しているが、それと併せて考え直してみると面白い。
文献は、Henry, Todd A., “Sanitizing Empire: Japanese Articulation of Korean Otherness and the Construction of Early Colonial Seol, 1905-1919”, Journal of Asian Studies, 64(2005), 639-675. 文中で言及した永島剛の論文はすでにAnnales de demographie historiqueの2005年号にまとめて発表されている。一部の論文の要約は、以下のサイトで読むことができる。
www.fcronos.gsec.keio.ac.jp/wp2003/wp03_001.pdf
www.fcronos.gsec.keio.ac.jp/wp2003/wp03_001.pdf