楠本正康『こやしと便所の生活史』

楠本正康『こやしと便所の生活史―自然とのかかわりで生きてきた日本民族』(東京:土牝出版、1981)
著者は新潟医科大学を卒業し、厚生省の衛生関係の仕事をしてきた衛生技官である。中世以来、人糞やし尿は農業用の肥料として用いられてきた一方で、明治以降はし尿処理がコレラや赤痢・腸チフスなどの感染症の原因として、細菌学的に適切な処理が叫ばれるようになる。経済的な価値と衛生的なハザードの側面を持つし尿処理は、社会における農業と衛生という二つの領域が競合する典型的な「ネゴシエーションの空間」であり、し尿は異なった意味を付与されて流通する「多面的な流通体」であった。そのあたりを、肥料の側面とハザードの側面の双方を押さえながら論じている優れた本だと思う。もともとプロの歴史学者の仕事ではないから、不満はもちろんあるけれども、使っているエピソードもとてもクオータブルである。たとえば、江戸の人糞尿取扱業者の間では、し尿をそれが採取された場所に応じて5段階に区別して値段を区別していたこと、一番高いのは大名屋敷勤番者のもので、以下、市中公衆便所、ふつうの町屋、尿が多いもの、そして囚獄・留置場のものであったという。同じように、明治20年に東京農林学校のケンネル博士が人糞尿について検査したところ、軍人のし尿がいちばん高質で、窒素、リン酸などの含有量が高く、ついで中等官吏、東京市民、農家となる。

戦国時代の日本最古の農業技術書といわれる『清良記』によれば、「農家に入ってみて、牛馬の厩がきれいに清掃され、雪隠もきれいでたくさん糞尿を貯えてあるうえ、敷地内の菜園が見事に作られて青々としげっており、外の田畑が格別素晴らしいような場合は立派な百姓である。これに反し、家の垣根や壁がくずれ、菜園が方々に散らばり、厩には垣も壁もなく、あちこちに厩肥や糞をばらまいておくようなものは、どこかの奉公人にように見え、百姓とは言えない」とあるという。江戸時代も似たような形で、便所をきちんと保つことは農民の教化に使われていたという。「家の格はトイレをみると分かる」というようなセリフがどうせ現在でも言われていると思うけれども、これは戦国時代に端を発することなのか。ううむ。