衛生展覧会!

 同じく、書評のための読み漁りの一環で、日本の衛生展覧会について考察した書物を読む。衛生関連の歴史について多くの面白い書物を出版しておられる田中聡さんで、私の記憶違いでなければ、研究会で一緒に仕事をしたことが一度ある。
 
 展覧会・博覧会に、衛生関連の物品が出展されることは、明治の初期からあった。明治10年の内国勧業博覧会にはすでに人体模型などが出品されていたし、明治16年のベルリンの衛生博覧会には内務省から役人が訪れ、明治44年のドレスデンの衛生博覧会には日本から大掛りな出展があった。 昭和期には、日本赤十字社が、衛生展覧のコレクションを持ち、このコレクションが各地に貸し出されて、衛生展覧会の中心的な役割を担う。展覧会とはいえないが、大正期以降、有田ドラッグ商会という薬品販売会社は、支社に病気に侵された病理模型を置いて、人々に強烈なインパクトを与えた。このような流れの中で、主として昭和期の衛生展覧会の内容を分析しようとしたのが本書である。この著者の本の常として、面白いマテリアルが満載である。

 分析の中で一番面白かったのは、人形は供犠としていけにえにされるという深層に着目した部分である。 なぜ人形なのかという問いである。 田中さんは、病人や保菌者は「イケニエ」にされるというようなことを言っている。「人形」という表現媒体の意味を問おうとしたところは面白いと思うが、正直言って、丁寧に考えられた議論ではなく、思いつきの域を出ていない気がした。 

 本書からは話がずれるが、「衛生博覧会」は現在のアーチストたちのイマジネーションを捉えている。ネットでざっと検索すると、「衛生博覧会」を名乗るアーチストの企画やイヴェントの多いこと。 なぜ、このイメージが、いま受けるんだろう? ポリティカル・コレクトネスへの反動かしら? 
 
 文献は田中聡『衛生展覧会の欲望』(東京:青弓社、1994)
 「衛生博覧会」を冠したウェブページの中でも、ここが面白かった。 特に、「衛生博覧会の唄」と、須山公美子さんの「少女の憧れ」は、ただのパロディではなく、ツボを押さえているという気がした。
 http://www.h2.dion.ne.jp/~keiticle/gallery/eisei/index.html