『性風俗史年表』

必要があって、『性風俗史年表』を読む。三冊出ているけれども、昭和戦前のものを眺めてみた。下川耿史性風俗史年表 明治編 1869-1912』(東京:河出書房新社、2008); 下川耿史性風俗史年表 大正・昭和[戦前]編 1912-1945』(東京:河出書房新社、2009); 下川耿史性風俗史年表 昭和[戦後]編 1945-1989』(東京:河出書房新社、2007)

新聞や雑誌の下ネタ系の三面記事を数行にまとめて略述したものが延々と並んでいる。出典を書いておいてくれないかなとちょっと浅ましいことを考えないわけじゃないけれども、背景として、これは眺めておかなければならない。
1916.8. 全国でコレラが流行。京都でコレラで入院した旦那を見舞いに来た本妻と妾がはちあわせし、憤慨した本妻が「コレラになってやる」と魚を大食いした結果、赤痢にかかって旦那と同じ病院に入院。また、別の夫婦が夫婦げんかの末、カッとなった妻が亭主を脅すつもりで「コレラになって死んでやる」とタコや生魚をたべているうちに本当にコレラになって死んだ例も。
1916.7. 熊本県立高女の全校生徒がもっとも崇拝する人物は一位乃木静子、二位紫式部、三位はナイチンゲール。
1926.11雑誌「優性運動」に、衛生幻燈会で梅毒のさまざまな症例写真を見たことから自分が梅毒に感染しているという不安に取りつかれた男性の例が報告される。このころ、衛生啓蒙の博覧会や幻燈会などにより性病ノイローゼにおちいる人が相次ぐ。
1937.2 精神医学者の金子準二が、男に復讐するために一万から二万人の男に淋病を移そうと男漁りをしていた女性の例を報告。女は漁師の娘で大実業家の一族からみそめられて玉の輿に。だが夫から梅毒を移されて離婚されたので、通っていた病院で自分で淋菌を注射し男漁りを続けていた。
1939.4. 神戸チフス菌事件。女医が、婚約を破棄された男性医師の家に、細菌研究所で入手したチフス菌をまんじゅうに塗って送る。食べた人12名が発病、一人が死亡。
1939.11. 東京・シバの赤十字博物館で「日本民族優性展覧会」が開催され、梅毒スピロヘータの運動状況の模型、淋病の悪化蔓延状況装置が設置され、ボタンを押すと男女の性器に病菌が繁茂する経路が示される。

昭和戦後期の最後の部分は、私が大学生になって以降の期間も含まれているので、さっと眺めてみたけれども、これが、ほとんど知らないことばかりだった。さすがに、1987年6月にマドンナが来日してコンサートを開いたとか、エイズ関係のニュースは見当がつくけれども、1986年に忘年会で女装がはやり「派手な下着付きのドレス、バニーガール、看護婦やセーラー服が人気があった」だとか、同じ年に「秋田大の原田忠講師が形状記憶合金を使った人工ペニスを開発」とか、「広島大の映画愛好会が大学院で上映を予定していた日活ロマンポルノ『群姦』『残忍連続強姦魔』が、女子大生の女性差別反対で上映中止になった」とか、記憶に痕跡がないというよりも、そもそも当時の私が知らないニュースだったと思う。これは、昭和戦前の記事についても、どの程度知られていたのか、慎重に扱わなければならないということだと思う。