精神病院への入退院と放浪を繰り返し戦争中に死んだ翻訳家・文筆家の辻潤の伝記の類を読み漁った。文献は、三島寛『辻潤-芸術と歴史』(東京:金剛出版、1970);玉川信明『評伝辻潤』(東京:三一書房、1971); 松尾季子『辻潤の思い出』(京都:「虚無思想研究」編集委員会、1987)
精神医療の歴史を研究するとき、有名人、特に著名な文学者で精神病になった人間というのは、便利なマテリアルである。すでに先人がまとめてくれた研究書や全集を使えて、手早く彼らの精神病経験の概要を知ることができる。社会史研究者たちは、有名人の事例や彼らが書いたマテリアルは使ってはいけないというような思い込みに陥りがちだが、私は気をつけて使えばいいと簡単に考えている。
私は寡聞にして知らなかったが、辻潤という面白い人物がいる。ロンブローゾやスティルナーを訳し、ダダイズムの中心人物の一人。最初の妻の伊藤野枝は大杉栄のもとに走った。何よりも大切なのは、辻が1932年から精神病を患っていたことである。32年の3月に「とうとう天狗になったぞ」と言って洗足の家の二階から飛び降りて新聞記事になって以来、精神病院の入退院と、放浪とも転地療法ともつかぬ遍歴が始まる。1ヶ月から長くて9ヶ月の4回の入院(ずべて別の精神病院)と、家族や全国の知り合いなどのもとに転々と身を寄せることが、1944年の死の数年前まで続く。地方で身を寄せたのは、知人(ファン)と、寺が多い。
辻潤の研究者たちによる伝記を何点か読んだが、そのトーンはあらまし、この精神病院のエピソードが挟み込まれた放浪は、彼の芸術性や思想や人格の現われであるというものである。おそらくその通りなのだろう。しかしその一方で、私が読んでいる日本の資料の同時代の精神病患者には、似たような精神病院への入院と転地療法を繰り返すものが少なくない。辻潤に見られるような「放浪する狂人」はそれほど例外的ではないと思う。この「放浪」を「浮浪」に変えると、話はフーコーの「大いなる閉じ込め」の話にに進んでいく(笑)
画像は近代初頭の「放浪する狂人」