恋の悩みにインシュリン♪


 自殺のリサーチが続く。日本の精神医学者による自殺論は巨大な三部作がある。王子脳病院の医師・小峰茂之の『情死の研究』『親子心中の研究』『同性心中の研究』である。その小峰の「恋愛論」を読む。文献は小峰茂之「恋愛論」(1)-(6) 『医事衛生』8(1938), 799-800, 840-841, 872-873, 937, 1037, 1149.

 恋愛を精神医学的に論じた随筆である。小峰の特徴である歴史的な素材収集を基礎に、フロイト派や性科学の理論を使って自由に闊達に論じた楽しい随筆。話はまず恋愛の賛歌から始まり(このあたり、人気美人ブロガーの朧月夜さんを彷彿とさせる)、恋愛は「種族保存本能の精神現象」として、人間の生物学的な繁栄の基礎であると同時に高次の精神活動であるとされる。時局(昭和13年)を考えると、とても自由に意見を述べている。そして話は浮世絵に見られた恋の激情の分析に流れ、清玄の櫻姫への恋が「固定観念」として解釈される。(「胸に忘れぬ恋情の煩悩の犬追えども去らず、清玄が身に付き纏い、寝ても醒めても小桜の、ただ面影が眼前に見え、忘れたいと思うても忘るることならぬ因果」)。そして話は、彼が診察した女性患者に及び、彼女が6年前の婚約破談がトラウマになり、「幸福感がなく、希望もなく、時々みだらな夢を見ることが多い」固定観念が分析へと飛んでいく。このあたりの、いくらエッセイとは言え、あまりに奔放な議論も彼らしい。

 しかし私が一番小峰らしいと思うのは次の部分である。

「古語に<お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ>と謂ふた昔の俗謡は、現代の医学のもとではあてはまらざるものとなったのである。すなわちこの俗謡で<惚れた病>というのは、余の謂ふ固着価値観念であって、数十年前の医学では治療は困難であったかも知れぬが、現在の医学では精神分析療法、持続睡眠療法、インシュリン療法、そのいづれの療法によっても完全に治癒した数例の経験を有するもので、現今では恋わずらいをするような神経症は全治するものである。」

 恋わずらいにインシュリン療法・・・ そしてそれが精神医学の進歩を象徴する・・・ 精神科医の犯罪を告発しているブロガーの kebichan さんなどが聞いたら卒倒するような話だが、この底抜けのオプティミズムを「ここまで来ると憎めない」と思うのは、私だけだろうか? 

 画像は国芳の「源氏雲拾遺 桜人 清玄・さくら姫」。この手の浮世絵の精神医学的分析というのも小峰が得意としていたわざである。