インドのコレラ


インドにおけるコレラの100年間の盛衰の話を読む。文献は、Klein, Ira, “Imperlialism, Ecology and Disease: Cholera in Indai, 1850-1950”, Indian Economic and Social History Review, 31(1994), 491-518.

 貿易のルートに乗ってコレラが日本に侵入したということを熱心に話す人が時々いるが、そのこと自体は幕末以来の常識である。コレラはクダキツネが体内に入って引き起こされると信じていた民衆でも、その程度のことは大体分かっていた。「貿易ルートに乗ってコレラが日本に侵入した」というのは議論の出発点であって、それを結論に持ってこられると、どう反応してよいか困る。

 それに較べてインドのコレラの歴史研究は水準が高い。この論文も思わずページをめくる指に力が入った。重要なポイントは沢山あるが、そのうち4つだけ。1860年から1950年まで続くインドの大きなコレラ被害はエコロジーの問題であるということ。鉄道の重要性はこれまでも強調されてきたが、それはもともとの常在地(ベンガル)からの伝播を盛んにしたのでなく、准常在地のようなものを各地に作った効果があったこと。新しい形態の農業に必要だった水利のあり方が一つの鍵を握っていること。そして、これは実はコッホが指摘していることだが、コレラの死者が増えたというときに、一回一回の流行の死者が増えたというよりも、より短い間隔で流行が襲ってくるようになったこと。

 一つの中心から放射される伝播でなく、伝播の発端となる准常在地が複数作られて流行の間隔が短くなること・・・ !!! そうか、そう考えればよかったんだ・・・ (一人で興奮してごめんなさい。)   

 最後のものを除いて、このポイントのどれもがこの論文で立証されたものだという印象は持たない。正直言ってアバウトな議論である。しかし、目からうろこが10枚くらい落ちた。