産科医の教育

 前に読んだ論文に何となく目を通していたら、ふと目にとまった一節があったので。 文献は、Schlumbohm, Juerden, “‘The Pregnant Women Are Here for the Sake of the Teaching Institution’: The Lying-In Hospital of Goettingen University, 1751 to c.1830’”, Social History of Medicine, 14(2001), 59-79.

 この論文自体はゲッティゲン大学の医学校に1751年に付設された産科病院を検討したもの。この産科病院は、貧しい女性が出産できる場を提供したが、彼女たちは経済的に劣等な立場にあり、そしてしばしば独身でありながら子供を生んだということもあって、道徳的にも付け込まれる隙があった。この事情を利用して、産科病院は彼女たちを教育用の素材として利用していたことを明らかにした、古典的な内容の論文。 

 この論文の最後の一節に目が行った。産科医たちは、無教育で無知な産婆を口汚く批判したにもかかわらず、彼女たちにとって代わって、自分たちが出産の担い手になるつもりはなかった。医者の数は少なすぎたし、医者に出産の報酬を払えるような家庭はごく少なかった。それゆえ、医者たちは産婆を追放することでなく、管理し教育することを選んだ。あるいは、出産はもともと時間もかかるし不規則だし、単位時間あたりの儲けはそれほど大きくない。その中で<うまみ>が大きい富裕層の出産は医者が独占して、大半の出産を産婆に任せることを選んだ、という方に進んだ国もあった。例えばイギリスがそれにあたる。

 考えてみたら、これが当然の成り行きであると言えないだろうか?不思議なのは、医師資格を持つ産科医が、殆どの出産を直接行っている現在の日本である。いったいどういう魔法を使って、この不自然で、割りに合わない(と思われている)仕組みが成立したのだろうか?その結果、最近になって産科医が足りないと言っているけど、少し考えると、これまで足りていたのが不思議である。日本の出産は非常に大げさで、10日近く入院が必要らしいが、これまでは入院費で帳尻を合わせていて、最近になって出産数そのものが減って、とうとう破綻したのだろうか? きっと、利潤率だとか、その手の経済学を使った論文がたくさん書かれているのだろうと想像している。