ルネッサンスのポルノグラフィ

 ピエトロ・アレティーノ『ラジオナメンティ』を読む。文献は結城豊太訳の角川文庫版。なお、この角川文庫版は、いったいどの版を訳したのかが一言も書いてないし、著者自身が不完全な訳であることを認めている翻訳である。1979年の時点でのポルノグラフィのアカデミックな研究が、現在の興隆からは程遠いものだったことが伺える。新しい訳がされるという噂をしばらく前に聞いたけど、どうしたのだろう? 
 アレティーノ(Pietro Aretino, 1492-1556) は機知と毒をちりばめた風刺で知られるルネサンスの文人。近代的なポルノグラフィ(それが厳密に何なのかはさておき)の祖といわれ、一連の書物の多くは発禁処分となった。さまざまな性交時の体位を描いた版画を添えたソネット『体位集』などが有名である。『ラジオナメンティ』は、修道女、人妻、娼婦の三つをすべて経験した中年女のナナが、自分が見聞きしたこと・経験したことを、友人のアントニアに語るという枠組みで、放埓と淫乱と欺瞞のさまが描かれるという設定である。なお、『ラジオナメンティ』には第二部もあり、そこではナナは自分の娘のピッパに物語をする設定になっているが、この翻訳では第二部は訳されていない。

 古いポルノグラフィを読んだことがある人は知っていると思うけど、あの・・・なんと言えばいいのかな・・・コーフンすることはあまりないというのが、研究者たちの正直な声である。『ラジオナメンティ』も、確かに淫蕩な場面や凄絶な乱交が描かれているが、このテキストの中で「性的な興奮」は、多くの要素のひとつにすぎない。他の要素というのは何か、ということについては、政治的な批判だとか、正統文化に対する風刺だとか、色々なことを研究者が言っていて、そのあたりを読み解くのが面白い。

 私が特に読んでいて気になったのは、このテキストは「言い換え」に満ちていて、その言い換えの妙を楽しませるというのが書き手の大きな目的になっているということである。言い換えの対象は基本的に性器や性交なのだけれども、それを無数の言い方で言い換えている。たとえば一ページから拾ってみても「かわらひわ」「ごしきひわ」「チーズを私のおろしがねでおろす」「太鼓の中にばちをいれる」「馬たちに出走の合図をする」「男の子の小船の帆」「鳥かごを大きく開き、その中にうぐいすを入れて、綱を引っ張る」「大弓を放す」と、これだけある。ウィットを誇示するかのように二重の意味を持つフレーズを華麗に散りばめるというのが、大きなポイントになっている。さすがに作者もこれはやりすぎだと思ったのか、次のような台詞の交換を登場人物にさせている。

ナナ ・・・すると司祭は紐を外し腰掛けを押しのけ、彼女をベッドにそっと下ろしたの。すると彼女は長い接吻のあとにこう言ったわ。「今度は、彼女は訴え、解放されたという銘の入ったサン・ジャミーノの聖像の前で、蝋のようにとろかして欲しいわ。」そして、そう言うと、自分の熊手の歯に情けの深い司祭を引っかけたのよ。司祭は山羊の最初の一口に飽きると、子山羊を注文したの。
アントニア あんたに言おうと思ったことがあるのだけれども、思い出せないわ。まあ、自由に話しなさいよ。クはク、カはカ、ポはポ、フォはフォと言いなさいよ。そうじゃなしに、輪の中のひもとか、コロッセオの中の針とか、庭のにらとか、戸口の釘とか、錠前の中の鍵とか、臼の中の杵とか、巣の中のうぐいすとか、穴の中の木鍬とか、弁の中の注射器とか、鞘の中の剣とか、そのほか杭とか、牧夫の杖とか、あかえいとか、あれとかこれとか、りんごとか、ミサ典書のページとか、あのこととか、この用事とか、あの話とか、槍とか、人参とか、大根とか・・・では誰にも分かってもらえないわよ。

 この中で、何のことかなんとなく直感で分かるものもある。「錠前の中の鍵」「臼の中の杵」「鞘の中の剣」を分からない人はいないだろう。「コロッセオの中の針」・・・こういうことかなと見当はつく。「あかえい」?「庭のにら」?「子山羊の注文」? ・・・と考えさせるのが、アレティーノのひとつの狙いだったんだろう。分かる人がいらっしゃったら、どうか「内緒」で教えてくださいませ(笑)。