後ろ向きに生きる人生

 「老い」の研究の時に書いた記事が残っていた。精神医療におけるライフ・レヴューの概念を論じた古典的な論文を読む。文献はButler, Robert N., “The Life Review – An Interpretation of Reminiscence in the Aged”, Psychiatry, 26(1963), 65-76.

 しばらく前に低人さんが、介護施設の高齢者に「前向きに生きましょう」と言っていたヘルパーさんの話を書いていらして爆笑した。この論文は乱暴な言い方をすると「後ろ向きに生きること」、あるいは「後ろ向きに生きさせること」のメリットを論じている。 

 老人が昔を思い出す生き物だというのは、アリストテレスの昔から指摘されていることである。「彼らは希望によってではなく、記憶によって生きる」(『修辞学』)この傾向は、老齢の不安とうつの症状だったり、本人が幸福な場合でも現実逃避の手段だったりと考えられてきた。精神病での高齢者の観察に基づいていたこともあって、人生の回顧は医者たちによって病理化され、ネガティヴに捉えられることが多かった。しかしこの論文は、それは死が遠くないことを察した人間にとって自然な心理的な傾向であって、過去において未解決であった問題を意識に上らせて、個人の人格世界を再構成し、プラスの効果をもたらすこともありえることを強調する。言葉を変えると、「思い出すこと」によって、新たな、より望ましい人格を得ようとしているのである。むろん、そうではない場合もあって、不安や罪の意識、絶望やうつが現れることもあるけれども。

 こういう形で「個人の記憶」が、アイデンティティを操作する重要な契機になったのか。面白かった。