解剖学と19世紀アメリカの自己形成





 19世紀アメリカの解剖学についての研究書を読む。文献はSappol, Michael, A Traffic of Dead Bodies: Anatomy and Embodied Social Identity in Nineteenth-Century America (Princeton: Princeton University Press, 2002). 手法としては文化史だけれども、リサーチには厚みがあって着眼も鋭く議論もシュアーである。好き嫌いが分かれるかもしれないけれども必読書だろう。

 19世紀アメリカの医師たちは、解剖学を医学教育のコアに据えた。身体についての科学的な知識を持つ職業というアイデンティティを形成したかったからである。しかし、医学校の爆発的な増加にともなって、解剖用の死体の入手は困難になっていった。解剖用の死体のほとんどは非合法に墓場から盗掘された死体であった。安らかに眠る死体の尊厳を露骨に冒涜するこの行為は人々の激しい怒りを呼び、死体の盗掘に抗議した医者の襲撃や暴動が頻発していたのはイギリスもアメリカも変わらない。このように、教育と職業形成のコアが犯罪に依存しているという事態を解決したい医学校の教授たちは、救貧施設で死亡した貧困者の死体を医学校の解剖に回すことを制度化した法律の制定を要求し、1913年までには医学校を持つ全ての州がこのような法律を定めて医学校に安定して死体を供給するシステムを作っていた。夜の闇にまぎれて行うまがまがしい犯罪で死体を調達する仕組みから、貧困者用の施設でひっそりと死んでいった貧民が事務的に医学校に回される仕組みに移行したのである。

 このあたりはリチャードソンの名著が明らかにしたイングランドの1832年の解剖法とあまり変わらない。サッポールの書物の特徴は、この20年ほどの文化史の蓄積の上にたって、解剖についてのさまざまなタイプの言説を取り上げて、それらを丁寧に分析していることである。おおまかな方向としては、白人中産階級(と、おそらく白人の労働者階級も入れて考えている)の<自己形成>の手段として解剖を考えている。

 解剖学は啓蒙された人間を作るのに有効な素材だと考えられていた。自分の体内がどのような堅固な構造を持ち、その複雑な機能が組み合わされて「私という現象」が作られているありさまを理解することにより、合理的に考えることができ、秩序ある行動をする個人を作ることができると考えられていた。いっぽうで、特に性器についての記述を含む解剖学は、安手のスリルとエロを売り物にする小説に素材を提供し、日本で「衛生博覧会」と呼ばれるような人体模型や病理標本を陳列したいかがわしい猟奇を売り物にする商業的な展示に利用された。その一方で、このような解剖学は、ヴィクトリア時代人に性の生々しい現実に向き合わせて因習から解放すると信じたものもいた。このあたりの素材の分析は、最新の文化史の定番の手法を使って行われていて、楽しく読むことが出来る。

 画像は本書より。アメリカの医学生たちが解剖用の死体と一緒に撮った「記念写真」。半分起き上がらせているもの、トランプをやらせているもので、これは悪趣味の極みだけれども、レンブラントの『テュルプ博士』も発想は同じ。 本書には、このほかにも、この手の写真が多く紹介されている。 

画像を追加しました。有名なレンブラントの『テュルプ博士の解剖』と、ほぼ同時代のミヒエル・ファン・ミーレフェルトとピーテル・ファン・ミーレフェルト(Michiel and Pieter van Mireveld)の『ウィレム・ヴァン・メールの解剖講義』(1617)です。