産褥精神病の力学

19世紀アメリカの産褥精神病 (puerperal insanity)を素材にして、複数の教科書的な方法論を教科書的に洗練された仕方で組み合わせて論じた、まるで大学院用の教材のために書いたような論文を読む。文献は、アメリカのTheriot, Nancy M., “Diagnosing Unnatural Motherhood: Nineteenth-Century Physician and ‘Puerperal Insanity’”, in Judith W. Leavitt, ed. Women & Health in America. Historical Readings. 2nd. ed. (Madison: University of Wisconsin Press, 1999), 75-90. 著者は、女性と精神病一般の問題についても、似たような総合的・折衷的な論文を書いていて、しばらく前に記事にした。

「産褥精神病」「産褥マニー」は、19世紀には盛んに使われたけれども、20世紀の初頭には消滅した精神病のカテゴリーである。あるいは、「授乳期うつ病」(「マタニティ・ブルー」)のみとなって、いちじるしく縮小したといってもいい。同じように女性の精神病であったヒステリーも、ほぼ同じ経緯を取った。

ヒステリーもそうだったが、当時の男女関係のイデオロギーが診断に投影されたという粗雑な社会学的な読みは、もちろん正しい部分もあるけれども、20年ほど前にすでに流行おくれになった。それに代わって、精神科医と婦人科医の間の権力関係、患者と家族の間の権力関係、そして患者と医者の間の権力関係という複雑な関係線のなかで、この診断概念の興隆と衰退を理解しようという話し。特に、産褥マニーとなった女性は卑猥で冒涜的なののしりを大声でわめき、医者や家族がこの上品な女性の胸のどこにこんな言葉が宿っていたのかとショックを受けるほどであったが、このような「症状」を通じて、患者は女性としての制約が多い役割を一時中断することができた。ある種の疾病利得がそこに発生することを指摘して、産褥精神病という診断は患者も満足するものだったという。ヒステリーならともかく、産褥ヒステリーについてこれを指摘して意味があるかどうか、よく分らない。 

最近は、大学院生はもちろん学部生でも、「この論文/レポートでは医者と患者の権力関係を分析する」というような台詞を口にする。へぇと思って読んでみると、現代の医療倫理の基準から見て問題があるようなケースで、医者が患者の権利を侵害しているものを、過去の医療の記録から探してそれをあげつらったものが大半である。その手のヒストリオグラフィは、「権力関係の分析」という表現から普通想像される作業ではないし、色々な美点はあるだろうけれども、書き手が頭が良いことを他人に示す方法としては最適ではないから、少なくとも大学院生は多用しないほうがいい。「権力関係の分析」を自称したいなら、この論文を読んでからにすることを薦めます。