カレル・チャペック『ロボット』

必要があってチャペックの『ロボット』を読む。千野栄一訳の岩波文庫。恥ずかしい話だが、実際にこの本を読むのは初めて。 

1920年に発表された戯曲。「ロッスムのユニバーサル・ロボット」なるロボット製造を独占している会社の工場の社長邸が舞台。ユニバーサル・ロボットは父と子の二人の科学者による発明で、実用的なロボットの大量生産に成功する。父親は科学者肌で、子は実利を優先できる企業技術者タイプで、<科学から技術へ>という生命科学の歴史の流れを象徴している。ユニバーサル社は世界中に労働ロボットを輸出し、商品の生産コストを下げて大量消費を可能ならしめ、人間を危険と苦役から解放した。ロボットたちはそれまでの人間の労働をすべて肩代わりすることになり、南米向けには「熱帯用ロボット」も輸出される。(自然の生産力は旺盛で農業が可能ならば豊かな収益を上げるが、そこで働く労働者の健康が損なわれてしまう熱帯という主題がこんなところにも出ていて驚く。)労働力を再生産する必要がなくなった人間たちは、子供を生むことすら止めてしまう。

ユニバーサル社のロボットは感情を持たなかったが、ロボットに心を与えたいと願った美しい社長夫人(元々はロボットの権利の運動家)が技師に頼んで、生産工程でロボットの「生理関係素」に変更を加えた結果、ロボットたちは進化を始める。 彼らは、心を持ち、自分が置かれた劣悪な地位を自覚し、革命を起してついには人間を滅ぼすにいたる。しかし社長夫人がロボットの設計図を燃やしてしまったため、ロボットたちはユニバーサル社の工場を占拠したものの、自らを再生産する手段がなく、絶滅の危機を迎えることになる。作品は、固く愛し合うことを学んだ男女の一対のロボットに期待を託して終わっている。(二体のロボットが歩き出していくところには、明らかにミルトン『失楽園』のエコーがあると私は思う。)たとえロボット同士であっても、男女の愛は世界を救済することなのだろうけど、そういう作家だと思っていなかったのでちょっと意外だった。

経済と革命と科学技術、生命倫理がキーワードで、20世紀の医学史や生命思想を学部一年生に教えるのに、これ以上好都合な課題図書はない。もっと早く読んでおけばよかったとホゾをかむ。