中国のSARS


2003年に起きた SARSの流行について、中国に焦点を当てた論文集を読む。文献は、Kleinman, Arthur L. and James L. Watson eds., SARS in China: Prelude to Pandemic? (Stanford, Ca.: Stanford University Press, 2006).

2002年の11月から2003年の7月にかけてSARSが流行した。「終わってみれば」全世界で8000人の公認患者と800人足らずの死者を出しただけだった。このうち、中国・香港・台湾をあわせると約7300人の患者と700人近い患者が出ていて、中国地域に限定されていたと言ってもよい流行だったが、2003年の3月にカナダのトロントで比較的おおぜいの患者と死者(それぞれ251人と43人)が出たことで、西欧諸国の関心は劇的に高まって、中国や東南アジア発の疫病の大流行の「予兆」であるという位置づけが与えられた。中国に近い日本では、カナダでの流行より前から関心が高まっていたような記憶もあるが、私はよく憶えていない。また、当初はWHOとの協力を拒んでいた中国が、流行の途中でついに屈して全面的に方針を転換したことも、何かを象徴する出来事であるという印象を与えた。

SARS流行下で中国のウェッブに掲載されたジョークを集めた論文があって、これがとても面白かった。その中から一つ。

共産党が達成できずに、SARSが達成できたこと - 

党は奢侈な食事を禁止できなかったが、SARSにはできた。
党は公金で旅行することを禁止できなかったが、SARSにはできた。
党は無意味な会合を禁止できなかったが、SARSにはできた。
党は上司をだまし部下をあざむくことを禁止できなかったが、SARSにはできた。
党は売春を管理できなかったが、SARSにはできた。 

具体的に何を下敷きにしているのか分からないものもあるし、あまり深読みしてはいけないだろうけれども、流行病のときには、人々の行動パターンが変わって、結果として権力に従順になったように見えるということと、フーコーの有名なペスト論との関係を考えているので、ちょっとこのジョークは憶えておこう(笑)