知人に薦められた本を読む。昨日に続いて、日本漁業史の泰斗の羽原又吉の作品で、『漂海民』(東京:岩波新書、1963)今から50年近く前の著作とは信じられないほど面白くて、あと私が知りたいことに少し関係があった。
漂海民というのは、陸上に生活の基盤を持たず、水上に浮かんだ船を生活の拠点にしている人々である。世界各地に分布していて、特に東南アジア・中国大陸南部、そして日本に散在的に存在していた。船を生活の拠点とするといっても、陸上との交渉を断つわけではなく、食糧や水などの日常に必要なものや、埋葬などのために、陸との接触は保ち続けていた。中国ではこれは「テン民」と呼ばれて差別され、漁業や港湾労働などに従事していたことが知られる。日本でも、瀬戸内や九州にこのような漂海民がいて、彼らの操船技術と漁業技術は高かったという。
陸に生活の基盤を一切もたない純粋な漂海民自体の数は決して多くはないはずである。私の考えをまとめるのに助かったのは、漁業を、日帰り漁業から漂海民までのスペクトラムで捉える視点であった。羽原によれば、1) 一日行程の漁場に限定した日帰りの漁業(あるいはそれに類した短期出張)を営むものたち、2) 季節的に行う出稼ぎを行うものたち(この中には a)夜は接岸する場合もあるし、b) 夜も船住まいを続ける場合もある)、3) 年中出稼ぎを行い、男子は主として海上にあり老幼婦女は陸の基地にいるパターン、4) そして、最も基地の力が弱いものとして、陸に根拠地はあるが、そこには土地・家屋がなく、一家族全員が船を住居とする場合である。 水上を移動することによるさまざまなリスク、特に疾病のリスクは、たぶんこの順番に高くなる。
画像は、昭和14年に調査された肥前瀬戸の家船で、船の長さは六尋二尺というから、だいたい10メートルくらい。そして、すごく大切なことには、この船にはトイレがない。というか、少なくともこの絵にはトイレが描かれていない。こんな尾籠な馬鹿なことを考えてこの絵を必死に注視したのは私くらいだと思うけど(笑)