未読山の中から、ルネッサンスの本草学についての論文を読む。文献は、Reed, Karen Meier, “Renaissance Humanism and Botany”, Annals of Science, 33(1976), 519-542. 30年前に書かれた論文だけれども、すごく分かりやすく、大切なことが書いている。
古典古代の文芸復興にともなって、古代の本草学への興味も復活した。アラビア語からの粗悪な翻訳などを通じて断片的に知られていたガレノス、ディオスコリデス、プリニウスなどの著作は、写本収集と本文校訂・翻訳を経て、はるかに優れた形になって復興された。アリストテレスの弟子のテオフラステスについては、中世が実質上知らなかった偉大な本草学者であり、彼の著作の発見と紹介は、ルネッサンスの本草学を充実させた。1530年には、これら四人の古典古代の本草学の大著は、すぐれたテキストや翻訳で読むことができる状態であった。
優れたテキストを作る作業と並行して、実地に植物を観察することも頻繁に行われるようになった。中世の医者たちは、手仕事を軽蔑し、本草学の教育も不十分であったので、ありふれた植物すら見分けられなかったという。16・17世紀にはこの状況は一変した。医者たちが本草学を学ぶときに、彼らはしばしばプリニウスやディオスコリデス自身が植物を採集した土地に近い土地(多くはイタリア)に暮らした。この私的なアレンジメントは教育に反映され、大学は植物園を作り、本草学の講座を設けた。本草学の授業では一学期に一回ほど植物観察と採集の実習も行われた。(このありさまはラブレーのガルガンチュアでも描かれているそうだ。)植物の優れたイラストレーションが現れたのは芸術の時代にしては意外に遅く、1530年代であった。ヒューマニストたちの美しく珍しいものを収集する情熱は、庭園と植物園の植物、あるいは植物標本を集めることに向けられた。庭園は、美しくかぐわしい植物、正確に同定された植物が並べられる空間であった。