必要があって、ダナ・ハラウェイが霊長類研究の政治学について論じた論文を読み返す。文献は、Haraway, Donna J., Simians, Cyborgs, and Women: the Reinvention of Nature (London: Free Association Books, 1991)の第一章。この論文集は日本語の翻訳も出ている。
20世紀の前半から半ばにかけて、プエルト・リコの小さな島にステーションを設営して霊長類の行動の研究をしたコロンビア大学の科学者、クラレンス・カーペンターを素材にして、自然科学研究において、政治的なものと生物学的なもの(ハラウェイ自身は「生理学的なもの」と言っている)が結び付けられているありさまを分析している。霊長類の行動に関しては、「ボス」の存在をはじめ、人間社会の価値観がわりとストレートに投影されやすい研究主題として有名だけれども、ハラウェイ(とカーペンター)はさすがにずっと洗練されていて、この時期に、ダーウィンの進化論をベースにして、自然的なものと政治的なものが、新しい重要な仕方で科学者たちによって結び付けられるようになったこと、特に、生理学と心理学の実験や観察が、重要な役割を果たしたことを指摘している。
この霊長類研究の事例の分析から、ハラウェイが考える解放的なフェミニズムは、自然と文化、科学と政治の間をどのように理解すればいいのか、「性」(セックス)が持つ自然を拒否して科学技術に走るべきなのか、などのフェミニストたちにとっては重要だった問題に関して、硬質な文体のアジテーションがちりばめられていて、とてもかっこいい。
そのアジテーションの一つに、科学の社会的な機能の分析だけでなく、その内容 (contents)の分析 が、 STSと呼ばれることになった学問(たぶん科学史という学問もそれに吸収されつつあると思う)の最も重要なスキルであると力説している部分があった。もちろん、社会的機能の分析も内容の分析も、どちらも両方必要なのだけれども、私自身も、優先順位をつけろといわれたら、僅差で「内容」にプライオリティを与えると思う。