日本中世の農村

必要があって、日本中世の気候が農村に与えた影響を論じた論文を読む。文献は、西谷地晴美「中世前期の温暖化と慢性的農業危機」『民衆史研究』No.55(1998), 5-22.

「日本史にも自然科学の視点を」という熱心な呼びかけをしている論文で、その脈絡で気候研究を軸に中世の農業に関する新しい説を展開している。これまでの定説では、私は過分にして存じ上げないが、戸田芳美さんという優れた歴史学者がいて、中世の温暖化に着目して、オプティミスティックな中世像を描いているという。温暖な気候は総じて食物の「実り」をもたらし、特に水稲稲作にとっては、夏の高温は喜ばしい。インディカ米という新品種がもたらされたことも、稲の実りを豊かにした。(インディカ米の導入を寿いだと解釈されている歌と踊りまであるそうだ・・・)これを背景に、開発がすすんだ時代として中世を捉えることができるというのが戸田の考えである。

西谷地は、反対に、温暖化は、単純に実りを意味するわけではないという。それは頻繁な旱魃をも意味する。そこにはむしろ慢性的農業危機があったという。文書の証拠は、むしろ荒涼とした中世の農村風景を印象付けさせる。 この中世の荒涼とした農地というイメージは、私がでっちあげようとしている話に近い。

西谷地の議論はもっともことが多いけれども、自然科学の視点の導入が日本史学に必要だと唱えるにしては、ちょっと書き方が熱くて、キャラクターが違うかもしれない(笑) 自然科学と歴史を融合して考えるのは、隷属農民の発生や被差別民の形成を考えるような、人が熱くなるような天下国家を語る機会ではないと思う。 むしろ、人間が、この自然界と太陽系の中で生きていることに対する冷静な謙虚さとでもいうべき、熱さとは正反対のキャラクターが必要なんじゃないかと思う。