江戸時代の介護

江戸時代の介護についての論文を読む。文献は、柳谷慶子「近世家族における扶養と介護―「仙台孝義録」の分析から―」渡辺信夫編『近世日本の民衆文化と政治』(東京:河出書房新社、1992)、119-140.

近世家族においては、家族内の弱者を経済的に扶養し、身体的・精神的に介護していた。そのありさまを、「孝義録」というタイプの資料から読み解こうとした仕事。これは、幕府や藩などが「善行者」として顕彰した人々の記録で、殿様にお褒めにあずかるわけだから主として庶民の善行者になる。仙台藩だと、1677年から1848年までの間に、564件の顕彰の記録があるという。その顕彰の中身を見ると、家族をよく介護していたというものが非常に多い。父母・祖父母といった直系の血縁者、配偶者、叔父・叔母などの傍系の血縁者の介護も対象になり、地域共同体の姿も垣間見えるという。

介護の対象になったのは、失明・盲目(50件)や中風(49件)などで、狂疾も一件あった。発狂した家族の人間を家庭で介護することは、明治以降に日本に精神病院をたくさん建てたかった呉秀三をはじめとする精神医たちに野蛮の象徴のように言われたけれども、江戸時代には殿様に褒められる善行だったんだ。

なお、この中にはらい病、今の言葉で言うハンセン病の人間を介護した例もあったという。数えると8件というから、病名がついているものの中では上から4番目に多い。中には、ハンセン病の妻を捨てようとした夫が子供にいさめられたという話もあり、実家の父母から離婚を勧められながら献身的に看病した嫁の事例もあるそうだ。らい病の患者は、穢れた存在として家や村から排除されて、らい人小屋に収容されたものもいたが、その一方で、たしかにハードルは高かったが、一定の家族によるケアが存在し、藩権力もまたそれを善行としていた。

たしかに扱いが難しい資料だけれども、とても面白く読んだ。