山田風太郎『八犬伝』

休暇先で、山田風太郎八犬伝』を読む。廣済堂文庫という、ミステリーや時代小説を出している文庫から出ている。

怪談や伝奇小説を読みたくなって、『八犬伝』のいろいろなヴァージョンを探していたときに、山田風太郎の『八犬伝』があることを知る。忍者小説の大家として名前だけしか聞いたことがなかったので、喜んで読む。

八犬伝』のあらすじにそってかなり自由にリライトした部分(「虚」の部分と呼ばれている)と、作者の馬琴を主人公にした、かなり史実に忠実な歴史小説の部分(こちらは「実」の部分である)が交互に出てくるという面白い形式をとっている。「実」の部分で『八犬伝』を物語って、次に、ちょうどその部分を書いた時点での馬琴を登場させるというわけである。『八犬伝』の執筆されはじめていから完成するまでに30年近くかかっているから、「虚」の物語の進行につれて、「実」の物語りの主人公が老いていくという趣向になっている。当たり前といえば当たり前だけど、これが、意外に面白い効果を生んでいる。『八犬伝』が長い年月をかけて書き続けられた作品であることが、不思議な意味をもって実感できるというのかな。老いとともに苦悩が深まっていく馬琴の筆から、大団円にいたる物語がつむがれるという対比も面白い。また、馬琴を主人公にした部分を書くについては、山田風太郎は、有名な馬琴の日記をはじめ、かなりの調査をしていて、北斎や鶴屋南北渡辺崋山など、江戸文化の有名人が登場しては文学観・芸術観・人生観を述べるという、それ自体面白い作品になっている。さすが、時代小説の大家だなあと感心した。

これは、好みの問題になってしまうけれども、『八犬伝』の部分の文体や語り口やリライトは、どぎついアクションとエロスとホラーが満載で、私には、かなりけばけばしく感じられた。しかし、そのどぎつさが冴えわたっている箇所はもちろんあって、猫の化け物がとりついた赤岩一角が、山のほら穴で野ねずみの大群をむさぼり食いながら、ねずみではなくて人間のはららご(胎児)が食いたい・・・とうなるシーンは、原作にはまったくないけれども、それはそれは怖かったですよ(笑)