『針聞書』のムシたち




必要があって、『針聞書』に現れる「ムシ」の解説書を読む。文献は、長野仁・東昇『戦国時代のハラノムシ―「針聞書」のゆかいな病魔たち』(東京:国書刊行会、2007)

書籍の帯に「スタマック・モンスター(略してスタ・モン)大集合!」とか書かれていたので、表層的で迎合的な、昔の医学の奇妙な説を紹介して面白がっている類の書物かと思ってしまった。確かに昔の医学の奇妙な説を紹介することに力点が置かれているし、面白おかしく書いているが、その背後には優れたスカラーシップがあって、安心して楽しく読めた。

げんざい九州国立博物館が所蔵する『針聞書』は、永禄11年(1568年)に摂州の上郡の茨木二介なる鍼師が編んだものである。彼の師匠から学んだことを記したのであろう。その中に、ハラの中ですみついて病気を起こす「ムシ」のイラストが63種類も描かれていることが、この写本に、ただの鍼治療の教科書とはまったく違った運命を与えることになった。どのような経緯をたどったのかは分からないが、この写本は、現在九州国立博物館の目玉の展示の一つで、その「ムシ」をデザインしたミュージアム・グッズもたくさんあるという。(言ってみれば、この書物もそういったグッズの一つかもしれない。)63種のムシがフルカラーで大きく印刷され、一つ一つに分かりやすく説明が入り、読んでも分からないくせに原文を見たいという私のようなペダンティックな人間のためには(笑)、小さな字で原文も添えてあるし、本格的な解説も巻末に付されている。とてもよくできているミュージアム・グッズだと思う。イラストに興味がある人も楽しいだろうし、話の「枕」に使うのにちょっと面白い絵がほしい医学史や身体の歴史の研究者にも役にたつだろう。特に、manga の研究者が一大勢力になっているアメリカの日本研究者相手に、日本の医学史の話をするときには、この書物のイラストからはじめるのが、聴衆の注意力を最初にわしづかみにする方法だと思う(笑)。はっきりいって、値段が1,000円のこの本は絶対に「買い」ですよ。例えば、「物憂げな目をしているムシで、ささいなことに憂い悲しみ、しまいには厭世感を覚える」<悩みのムシ>から、日本のうつ病の話を始めるなんていかがですか?(笑) 

どのムシも面白いけれども、一つだけ選んで、「ぎょうちゅう」の説明を

棲息域:男女のちぎりで幼虫が宿るので、陰部と推定される。
特徴:一年に六度めぐってくる「庚申」の夜、とりついた人の体内からそっと抜け出す。舌が長くとてもおしゃべりで、夢に見ただけでまだ実行していないことや、その人が抱いている欲望まで閻魔大王に告げ口し、地獄に落とそうとする。
病状:庚申の夜に男女のちぎりを交わすと、この虫の幼虫をやどしてしまう。とりつかれた人は天刑の病をわずらって死んでしまう。
対処法:徹夜で「庚申待」をして虫の脱出を妨げ、その晩はちぎりを控えて幼虫を宿さないよう予防するしか、方法はなかろう。

九州国立博物館のサイトに、より詳しい説明があります。 画像は、そこからのイラスト。書物のイラストは、もっと上品な色合いで趣があるものです。