ローマ帝国の死亡の季節性

必要があって、帝国ローマの死亡の季節性を論じた論文を読む。文献は、Shaw, Brent, “Seasons of Death: Aspects of Mortality in Imperial Rome”, Journal of Roman Studies, 86(1996), 100-138.

死の歴史の研究は、二つの大きく違ったアプローチがある。片方は、いわゆる質的な研究で、色々な資料を読み込んで、過去の人々の死に対する態度や、死の意味などを考察するものである。もう一つは、生物学的な現象としての生と死を数えるという数量的な、いわゆる歴史人口学の研究である。前者は、いろいろなタイプの資料をとにかく使えるし、人の死というのはよく記録に残される。後者は、ある程度の数の死が組織的に記録されたデータが必要になる。

この二つのアプローチは、相補的であるだけでなく、実は相互に依存している。つまり、この著者によれば、ローマ帝国を対称にしたあるタイプの歴史人口学的な研究が可能になるためには、死に対する新しい態度が現れて死が正確に記録される必要があったという。具体的には、この新しい態度はキリスト教がもたらしたものであった。キリスト教においては、生物学的な死は、新たな永遠の生命の始まりであって(このあたり色々と議論があるでしょうが、著者が言わんとしていることを汲み取ってください)、だから、正確に死の日付が記録されるようになった。一方、異教徒たちは、死の日付ではなく、何年間生きたのかという形で、生存の期間を記していた。言葉を変えると、ローマ時代に死んだキリスト教徒の墓の墓碑銘をたくさん集めて分析すると、ローマ帝国の死の季節性の分析ができるということになる。これがどういう意味で二つのアプローチが「相互に依存している」といえるのか厳密には分からないが、たぶん、重要な議論への一つの布石だということは分かる。 

実際の死亡の季節分析も面白い。私が日本の例で知っているのは、かつては(昭和戦前期まで)消化器系疾患が作る夏の山と、呼吸器系疾患が作る冬の山をもつ、くっきりとしたツインピークスだったのが、季節性が弱い形になっていったということだけれども、帝国ローマの季節性は、とにかく夏に人が死ぬ、シングルピークが非常に強い形になっている。 19世紀のローマのデータを見ると、この夏ピークはやや弱めになっている。