『水と原生林のはざまで』

シュヴァイツァーの『水と原生林のはざまで』を読む。岩波文庫の古い訳がある。この作品は、子供むけのリライト版を子供のときには読んだきりで、ちゃんとした翻訳を読むのは実は初めてである。

シュヴァイツァーは、哲学と芸術を学んだあとで医学を学びなおし、1913年からアフリカのガボンのランバレネという村で、伝道活動の一環として、アフリカ人向けの医療に携わった。私は詳しい経緯は知らないが、1953年にノーベル平和賞を貰っている。おもしろかった点のメモです。 メモ

患者は、なめし皮のひもを通した厚紙のカードをわたし、そのカードに書いていある番号と、診療簿の番号を一致させる。診療簿には名前、病名、渡した薬などが書いてある。それとともに、首のまわりに、孔のあいたブリキの板を下げている。政府に人頭税5フランをおさめたしるしである。 

おもに使った薬は、キニーネ、アンチピリン、ブロムカリ、ザロール(?)、デルマトール(?) 

心臓症患者が多いのには、私はいよいよ驚いている。患者のほうでは、私が聴診器できくと彼らの病気をみんな知ってしまうことを驚いている。 聴診器で聞くと、足がむくんでいることや、夜眠れないことなどを知るので、ドクトルはすごいと思う、と現地の女性に言われて、シュヴァイツァーはまんざらでもない様子である。 54 

ある軍医がシュヴァイツァーに会ったときに、彼の日常を知って、「あなたは、他の人のように、記録や報告や統計に時間を取られなくすむが、そのことがどれだけ大きな特権か、わかっていない」と羨んだという。 84

黒人は、もとの村にいて家族や一族のそばで道徳的な態度を保っているあいだは役に立つが、一度、その周囲から離れると、道徳的にもまた肉体的にもわけなく退廃する。家族から離れて(半ば強制の)労働に携わっているときには、火酒におぼれ、狭い小屋に雑居して宿営するために生じる潰瘍や、その他の疾病に餌食になる。 117

アフリカにいて自分を正しく持するには、精神的な労作をなさなければならない。不思議に聞こえるかもしれないが、教養のあるものは、ないものに比べて、原生林の生活に堪えやすい。なぜなら、前者は、後者の知らない慰めを持つからである。まじめな書を読むと、土人の不信や動物の跳梁で終日戦いつかれた機械のような存在を止めて、ふたたび人間に帰る。いつも自分に帰って、新しい力をうる道をしらない人々は、わざわいなことである。その人は、アフリカの恐ろしい散文のような生活のために死ぬのである。 145-8

「新聞類はここでは読むに堪えない。時がいわば静止しているこの地では、平凡な毎日のうわさを印刷するのは、奇怪なことだ。」146.

最後の点、ときどき、出張して地方新聞を読んだり、NHKのローカルニュースを見たりすると、この「奇怪さ」が少しわかるような気がする。