Marina Warner, Once upon a Time (OUP, 2014). Fairy tales を縦横に論じた好著。思いついたことを メモ。
国民性を象徴する民話と、国境や地域を越えて移動する民話の緊張。グリム童話は19世紀半ばに標準版が出たが、数世紀にわたって移動して語られていた民話を集めて、そこに「ドイツ」の精神性を見いだして学問の考察対象とする矛盾を孕んだ試みであった。
グリム兄弟の試みは各地で模倣され発展させられたシチリアの民俗学者のGiuseppe Pitre (1841-1916) は元々は 医者で、往診用の馬車に特別な机、筆記用具、椅子などを備えて、患者から民話を取材して書き留めることができるようにしたとのこと。
患者に話をさせて、それに耳を傾け、書き留めることは、この時期の多くの医者の診療にまつわる行為の中で中心となるものであった。おそらく、往診の場合には、聴診器などを除けば検査機器も少なく、患者の話を聞くことが最も重要だっただろう。そこから民話取材に発展したということだろうか。
医学に「モデル患者」「スター患者」と呼べる、疾病の理解がその患者を元に作られ、世代を超えて医者たちの注目を集め続ける患者がいるように(たとえばシュレーバー)、民俗学にも重要なインフォーマントがいる。ピトレにとってはそれはある老婆であり、自分が昔聞いた話をよく憶えていて、それを語るのが好きな女性だった。その老婆が、ピトレに物語を語り、そこからシチリアに特有な民俗が読み取られるということになった。
ただ、スター患者やモデル患者と、スター・インフォーマントの役割はやはり違う。患者の方が分析の対象になりやすいというか、患者の方が個人として現れる程度が強いというのか。ドーラでもアンナ・Oでもいいが、たしかに私たちが普通読むのはフロイトやブロイアーによる「再話」である。しかし、そこに患者としての個人性を感じさせる物語である。一方で、スター・インフォーマントについては、「これは誰それが語ったこと」という語り手の個人性が強く意識されることは、患者に比べたら少ないのではないか。それとも、これは私が民俗学の研究に無知なだけか。