欧陽修(1007-72)に日本刀を歌った詩がある。日本からもたらされた美しい刀を見て、その刀を作った国に思いを馳せるという内容である。まずは美しい刀の描写から始まるが、すぐに話は、日本国の起源にいたる。当時の中国で受け入れられていた「歴史」によれば、日本に文明を伝えたのは秦の徐福という人物である。徐福が日本に来たのは不老不死の薬を探すためであったが、その時に秦の民を連れてわたったから、そこには優れた工人もおり、だから日本の技術の水準は高い。しかし何よりも大事なのは、徐福が日本に「書経」を全巻もっていっていることである。これは儒教の古典のひとつだが、秦の始皇帝の焚書坑儒によって焼かれてしまい、中国には完全な形では残っていない。しかし、海を渡った辺境である日本に、徐福がもたらした中国の聖典が完全にそろっているという。そして、その日本は書物の輸出を厳格に禁じているので、いまだその古典は中国に知られていない。