鍼あんま

必要があって、盲人の歴史をチェックする。谷合侑『盲人の歴史』(東京:明石書店、1996)

鎌倉時代から、平家物語を琵琶に合わせて語る「平曲」が盲人の職業として確立され独占化された。その後、琵琶語り・平曲自体が衰退したこともあり、戦国時代・江戸時代初期に、ほかの職業に進出した。浄瑠璃語り、三味線、筝などとともに、鍼・あんまにも進出した。鍼を大成した杉山和一は、それまであった捻鍼法、打鍼法ではなく、管鍼法を開発した。杉山の鍼術を契機にして、江戸の幕府を中心にして盲人の座を再組織することが進んだ。和一は、将軍綱吉に籠遇され、検校に任命され、鍼術の講習所を開き、この講習所では標準的な教科書を用いた教育がされた。1700年近辺には全国で45も講習所があったという。この成功は、(おそらく)和一の技法が教えやすく習得も簡単だったこともあるのだろうが、京都を中心とする検校制度を江戸の幕府の影響が及ぶような形で再編成するという幕府の狙いもあったと思われる。「当道式目」を、当時成立してその基礎が固まっていた幕府を中心とした封建制度にあうように作り変える過程であった。