何の必要があったのか忘れてしまったけれども、しばらく前に必要があって、今はその必要がなくなったと思うけれども、とにかく(笑)、馬場あき子『鬼の研究』(ちくま文庫)を読む。
鬼の話はもちろん楽しい。それとは別に、ちょっと気がついたことがあって、それが「精神分析の考えの浸透」である。本書は、古代からはじまって中世までの史書・説話・物語などに登場する鬼の分析を通じて、日本文化の深層を問うという視点である。表面的にはフロイトやユングは現れないが、広義の精神分析的な視点である。私に一番面白かったのは三章の「王朝の暗黒部に生きた鬼」だったけれども、そこで能に登場する女性の鬼(「安達原」など)を論じる中で、「<鬼>とは破滅的な内部衝迫そのものであり、心の闇に動く行為の影である」と論じてみる部分などは、広義の精神分析というか無意識の心理学に多くを追っているように見える。(安達が原の鬼の精神分析的な分析といえば、たぶん1930年代の小峯茂之の仕事が早いものだろう。)
馬場さんの社会に対する洞察を軽視するわけではないけれども、やはり社会よりも人間の心を論じたもの、特に女の心を論じた部分は、それこそ鬼気迫るような迫力があって読んでいて楽しかった。その一方で、恋に破れて心の闇に鬼を作り出してしまう中世の女性たちを、絢爛たる筆と鋭利な洞察で描くこの書物は、すこしだけ読んでいて居心地が悪かった。それほど素晴らしい記述だったということだけれども。
天狗には僧に幻覚を見せる能力があったとのこと。天狗の外術で極楽浄土の幻覚を見せられた僧の話も引用されていた。そんなことがあったのか。私の患者(笑)が観て記録した幻覚と似たようなものはないか、調べてみよう。