中世フランスのハンセン病患者の虐殺と迫害

1321年 フランス全土でらい病(ハンセン病)患者の大虐殺が起きる。 
カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史―サバトの解読』竹山博英訳(東京:せりか書房、1992)に、中世フランスでハンセン病患者が多数虐殺された事件を分析した章がある。この書物の眼目の部分ではないけれども、読み返したら、授業に使えそうだったので、まとめた。

「フランスのほぼ全域で焼き殺された。全住民を殺す毒を準備したからだ」「フランス王国の全土でハンセン病患者が牢に入れられ、教皇により断罪された。多くは火刑台に送られた。生き残りは家に隔離されている。その何人かは、貴族やそうでないものを含めたすべての健常者を殺し、世界全体を支配する陰謀を企てた、と告白した」「ハンセン病患者たちは、毒入りの粉末を泉、井戸、川にまき散らして、健康なものにハンセン病を感染させて、病に陥らせ、殺そうとした。彼らの多くは、指導者たちが陰謀を企てる目的で二年にわたって招集してきた会議に出席したと告白した。住民が逆上し、正規の裁きを待たずに、ハンセン病患者の家々の扉を閉ざし、火をつけて、中の住人もろとも焼いてしまった場合もあった。だが、その後、よりゆるやかな措置が決定され、無罪と判明したハンセン病患者は、将来への配慮から、ある特定の場所に隔離され、外出せずに永遠に住まうよう義務付けられた。害をなしたり、子供ができないよう、男と女は厳重に隔離された。」「グラナダ王を首謀者とする陰謀があった。王は、ユダヤ人たちに巨額の金を与え、キリスト教徒を滅ぼす犯罪計画を準備するように頼んだ。ユダヤ人たちは引き受けたが、疑われているので直接実行はできないといい、ハンセン病患者に実行をまかせることにした。」
1321年夏に、パミエにおけるハンセン病収容所の責任者、ギヨーム・アガサが取り調べられる。アガサの告白は、次のように移行していった。
①すぐに改悛の態度を示し、二人のハンセン病者と毒薬を手に入れて井戸などに撒いたことを認める。(6月4日)
②別のハンセン病院長から手紙をもらってトゥールーズにいき、そこで健康者に復讐し、その土地を手に入れる陰謀を話し合ったこと、そのためにはグラナダ王を受け入れるべきであるといわれたことを証言した。(一週間後)
トゥールーズの懐疑で、グラナダ王の使者に、キリスト教信仰を捨てるように言われ、蛇、ひきがえる、トカゲ、人糞と聖体が混ぜ合わされた粉末をうけとって、その毒薬キリスト教徒を殺すことを約束したこと、聖体と十字架に唾を吐きかけて踏みつけたこと、棄教を拒むと、半月刀で武装した男に首をはねられてしまう、という証言をした。(数日後)