うつ病と「悟浄出世」(中島敦)

中島敦『悟浄出世』『悟浄歎異』、ついでに『名人伝』を読む。

中島敦のちくま文庫版の全集を買った。高校の教科書で有名な『名人伝』を読んでから、私がずっと好きな作家で、いろいろな作品を読んだ。大学の時に読んだ『悟浄出世』『悟浄歎異』は、1982年に大学に入って、イデオロギー闘争が崩壊した後の知的な混沌の海の中に放り込まれた自分の姿を見せつけられるようで、とても好きな作品だった。今回、久しぶりにこの作品を読み直してみたら、悟浄は「うつ病」であることに初めて気が付いた。冒頭近くの部分である。

いつのころから、また、何が因《もと》でこんな病気になったか、悟浄《ごじょう》はそのどちらをも知らぬ。ただ、気がついたらそのときはもう、このような厭《いと》わしいものが、周囲に重々しく立罩《たちこ》めておった。渠は何をするのもいやになり、見るもの聞くものがすべて渠の気を沈ませ、何事につけても自分が厭《いと》わしく、自分に信用がおけぬようになってしもうた。何日も何日も洞穴《ほらあな》に籠《こも》って、食を摂《と》らず、ギョロリと眼ばかり光らせて、渠は物思いに沈んだ。不意に立上がってその辺を歩き廻《まわ》り、何かブツブツ独り言をいいまた突然すわる。その動作の一つ一つを自分では意識しておらぬのである。どんな点がはっきりすれば、自分の不安が去るのか。それさえ渠には解《わか》らなんだ。ただ、今まで当然として受取ってきたすべてが、不可解な疑わしいものに見えてきた。今まで纏《まと》まった一つのことと思われたものが、バラバラに分解された姿で受取られ、その一つの部分部分について考えているうちに、全体の意味が解らなくなってくるといったふうだった。
 医者でもあり・占星師《せんせいし》でもあり・祈祷者《きとうしゃ》でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果《いんが》な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨《みじ》めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋《く》うようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘《しょうしんしょうめい》の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。(以下略)」(青空文庫より)

ちなみに『名人伝』の中で私が一番好きな箇所は、もちろん、以下の部分である。

「ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
 紀昌は慄然《りつぜん》とした。今にして始めて芸道の深淵《しんえん》を覗き得た心地であった。」