戦前医療費の格差

医療費(保健衛生費)の支出をチェックする。多田吉三『日本家計調査研究史―わが国における家計調査の成立過程に関する研究』(京都:晃洋書房、1989)

大正期になると、家計調査がはじまった。のちに東京帝大経済学部の学部長となる高野岩三郎を中心に、月島の労働者や小学校教員の家庭の家計が調査された。大正8年以降は、内閣統計局の権田保之助を中心にして数多くの家計調査が行われ、「家計調査狂時代」と本書は呼んでいる。大正15年から昭和2年にかけて内閣統計局が行った、給料生活者と労働者の家計における「保健衛生費」を見ると、それぞれの収入と保健衛生費は、前者が一世帯あたり233.5円/9.30円、後者が180.65円/7.37円である。ちなみに、農村保健衛生調査によると、農家の家計においては、保健衛生費は全体の平均で3.08円、自作農が3.67円、小作が2.29円であった。都市内・農村内の差も大きいが、まず目に付くのは、都市と農村の保健衛生費の巨大な格差である。人口の年齢構成などの問題もあるだろうが、この差が、医師にかかった頻度によって決まったことは間違いないだろう。昭和13年の滝野川健康調査のデータでもそうだし、同時期の千葉県の木更津保健所の調査でもそうだが、広義の医療費の支出の約8割が医師に支払った金額であるからである。