杉田玄白

必要があって、岩波の思想大系『洋学 上』に収録された杉田玄白を読む。文献は「和蘭医事問答」「狂医之言」「形影夜話」など。

杉田玄白というと、『解体新書』や『蘭東事始』が有名だけれども、前者は解剖学書だから、それを面白いと思える能力がある人が限られてくるし、後者はほかの全集にも入っているというわけで、言ってみれば「マイナー・ワークス」からの選択だが、選択されたテキストはどれも素晴らしい。蘭学を導入するときの社会的なダイナミクスや、中国医学の世界に西洋医学が入るとき、どのような知的な変容と概念操作をしなければならなかったかが、鮮明に表れている。日本の医学の歴史を大学院の入門レベルで教えるときに理想的なテキストだと思う。

重要なポイントを一つだけ書く。解剖学を基礎に据えて医学を構築しようとしたときの問題である。「狂医之言」は、玄白が、狂信的な中国至上主義の医者に誹謗されたという状況を仮設したうえで、それに対して玄白が反論するなかでオランダ医学を説明するという、ポレミックと宣言を合わせた形式をとっている。玄白は、中国の政治も社会も完全ではなく、その医学も、少なくとも現在に伝えられている形では人を欺くものばかりであるという。しかし、オランダ医学は人を欺かないという。これは、その解剖学が玄白に与えたインパクトから出発している。実際に人を腑分けしてみると、中国医学書に書かれている臓器の説明はでたらめで、オランダの解剖書に書かれていることは「まるで鏡のように」正しいことがわかる。問題は、この衝撃の先である。玄白は、この体験を、医学の基礎に置こうとする。すなわち、中国医学にはない「法」をオランダ医学はもっていて、それは、病気の原因なり座なりを視覚的に理解することにある。中国額は、あたかも、銅板を隔てて見えない部分にある熱を論ずるようなものである。西洋医学は、それを見える臓器において、病気の原因を可視的に考える。それが「法」だという。