ナチスによる精神障碍者の抹殺

ベルリンに来たので、橋本さんの案内で、ナチス時代に精神病患者を抹殺した政策 Aktion T4 の本部があった Tiergartenstrasse の4番地に行く。1939年から41年にかけて、全国の精神病院から精神病などの病気をわずらった人々の情報を集めて、「生きる価値がない」ものを選び出して、合計7万人を特殊な精神病院の施設に「灰色のバス」で送った抹殺した有名な事業である。

Tiergarten 通りは、今は片側にはかなり深い森が、もう片側には大使館が立ち並ぶ郊外風の通りになっている。サウジアラビアや南アフリカの大使館もあり、その中には日本大使館もある。日本大使館の横の通りには、原子爆弾を記念して「ヒロシマ通り」という名前が付けられていた。作曲家のシューマンの妻のクララ・ヴィークが棲んでいたのだろうか、クララ・ヴィーク通りもあった。番地が振られていて、50番地くらいから始まってだんだん4番地に近づいていくにつれて、緊張が高まっていった。実際の4番地は、たぶんベルリン・フィルの建物であろう大きくて不格好な建物の裏にあった。写真で見たことがある当時の原型をとどめない状態で、いまはバスの発着所になっていた。そこに、簡単な掲示板があり、道路には「忘れられた犠牲者たちのために」と題された金属の碑が埋め込まれていた。バスの発着所に灰色のバスが止まっていたのでぎくりとしたが、それは普通の長距離バスだった。

説明版に、これを記念する建物のようなものが近い将来にこの地にできる計画だと書いてあった。きっと立派な記念館になるのだろうけれども、それができる前に、この土地を訪問して目に焼き付けておいて、とてもよかった。きっと、多くの精神科医や歴史学の研究者がすることだと思うけれども、私も、その掲示板を読み、手を合わせて頭を垂れて祈った。「祈る」ことは、しばしば、目的を伴わない行為になるけれども、何のために祈ったのか、よくわからない。