アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』巌谷國士訳(東京:岩波書店、1992)
医学についても同じことを言えると思うが、特に精神医学の歴史は、いわゆる近現代に焦点がある。つまり、19世紀・20世紀以降、文化に随伴するサイドショウではなくなり、文化の中心の一つを形成するようになる領域となる。その大きな流れの一つを形成するのが、広義のモダニズムの文化であり、その中でもシュルレアリズムが果たした役割は特別大きかった。
医学についても同じことを言えると思うが、特に精神医学の歴史は、いわゆる近現代に焦点がある。つまり、19世紀・20世紀以降、文化に随伴するサイドショウではなくなり、文化の中心の一つを形成するようになる領域となる。その大きな流れの一つを形成するのが、広義のモダニズムの文化であり、その中でもシュルレアリズムが果たした役割は特別大きかった。
ブルトン自身が医学・精神医学を学んだ経歴を持っているので、「シュルレアリスム宣言」が提唱する自動記述は、このコアにおいて精神医学に多くを負っているのは当然である。自動記述という詩作の方法について、ブルトンが決定的な経験をしたとき、それは、「窓で二つに切られた男がいる」というような内容の文句が心に現れ、そこから一連の文句が、意図しないままに、とぎれずに自然に頭に浮かんであらわれた。ブルトンは、そのころフロイトに没頭し、その診断方法(=自由連想法)にも親しんでいたので、そこで患者から得ることを求められるもの、つまり「できるだけ早口に語られる独り言」を自分自身から得ようとした。被験者の批判的な精神が判断を下さない状況で、故意の言い落としや検閲がない思考を、正確に写しだそうとした。精神医療の臨床において、患者の心からその思考を引き出すテクニックをもとにして、文学を制作する方法が考案されたのである。
そして、精神医学の方法は、基本的には医者と患者の対話である。医者が質問をして、患者がそれに答えるというパターンで診断が進んでいく。だから、シュルレアリスムの自動記述というのは、かりに一人で行うとしても、そこには対話の構造がある。
これは、精神の自由を担保しているのが、想像力であるということと結び付けられている。想像力は過ちをおかしうる。狂気には想像力が大きく関与している。狂人たちが監禁されるのは、法律上とがめられる二、三の行為をするせいであり、それを犯さなければ、彼らの自由は奪われない。彼らは、想像力のせいで、違反をおかし、許される行動の一線を越えてしまう。しかし、狂人たちは、その限界を超えて、批判されて、処罰されても、超然としている。それは、彼らが、自分の想像力から大きな慰めを得ているからに他ならない。自分の錯乱を満喫しているので、自分の想像力は自分にしか価値がないという事実にも耐えられる。だから、「狂人たちの打ち明け話」を誘い出すのは、無限の価値があるのである。 10-11
人間は、継続に値する何かが継続しているという錯覚を抱いている。こうして、夢は、夜と同じく、括弧の中にいれられてしまう。21