中世大学の医学教育

Siraisi, Nancy G., Medieval and Early Renaissance Medicine: An Introduction to Knowledge and Practice (Chicago: The University of Chicago Press, 1990), “Medical Education”
医学教育の歴史についてまとめる必要があって、中世医学の歴史についての素晴らしい教科書の第3章 “Medical Education” を読みなおす。細部の複雑性を押さえたうえで、大筋の議論を明瞭に示している、非常に分かりやすい記述である。

中世における医学教育の最大のイノヴェーションは、大学医学の始まりであった。医学エリートが規範的な医学を学ぶ場としては、修道院などもあったが、中心は大学であった。大学は、12世紀からのフランス、イングランド、イタリアにおける設立と、14世紀からのドイツ圏の設立と、二つに分けられるが、いずれの場合でも、ほとんどの大学が医学部を含んでいた。これらの大学は、カリキュラムはそれほど変わっていなかったが、名声・規模・機能が大きく異なっていた。パリ、モンペリエボローニャ、後にフェラーラ、そして15世紀にはパドヴァの医学校は、教師も学生も多い国際的な大学であったのに対し、たとえばオクスフォードは、神学においては傑出していたが、その医学校は、オクスフォードという地方都市に影響を与えた程度であり、イングランドやロンドンに影響を与えるものではなかった。ドイツに大学が設立されたときに、北イタリアのメジャーな医学校は、学生をドイツに取られるというより、むしろドイツから学生が学びに来るというメリットがあり、15世紀のパドヴァでは学生の30-40%はドイツ圏からであった。

大学では、自由学芸と自然哲学・論理学を予備的に習い、古代ギリシア・ローマの医学と中世イスラムの医学という、学問性が高い医学が教えられた。医学というのは、むろん実践における<わざ>であり、大学における医学教育は、実践の経験を積むことを要求していたが、これらは大学のカリキュラムの内部で教えられるべきコアな部分ではなかった。コアな部分は、ヒポクラテスやガレノスやアヴィセンナなどの著名な医学者の古典テキストの精密な読解であった。