1942年の病名告知論

本多秀貫「診療談叢―深く注意し考えよ」『治療医学』no.512 (1942), 3.
肺結核の病名告知についての意見。短い文章だが、いくつか重要なヒントがある。一つは、結核を「国民病」として性格付けて国家の問題にしたうえで、医師―患者関係が、個人的な契約から、国家の資源としての国民に対するサービスに再転換されるべきだという状況があること。病気の本体を知って治療することが国民の義務になっていること。そうすると結核の半数以上は治ること。その中での「病名告知」の議論であること。

肺結核がなぜ治りにくいのか、その原因は、肺結核患者が自分の病気は養生次第ではたしかに治る病気であるということを十分に信じていないところにある。肺病は不治の病気であると言われてきた、それが患者としてはまだはっきり解決していない。肺結核患者の心理状態は、自己の病気が肺結核であろうという疑いを起こしている半面に、正確なる診断を与えられることを非常に恐れている。たいしたことない、気管が少し悪いという診断でカムフラージュされていることを喜ぶという矛盾した心理状態である。だから、真実を告げなければならない。肺尖カタル、肺浸潤のごとき病名もよくない。初めから肺結核という立派な病名をつけるべき。カムフラージュして患者の一時的歓心を買っておくことが、治療上の大失敗を招来する原因である。あいまいな病名をつけることは、猜疑心のために神経衰弱の興奮状態を起こさしめ、ますます病気がすすみ治療がうまくいかない。気休めをいう医師を全医師界から追放せよといったこともある。国家は、国家社会の各部門にわたっていわゆる新体制を求めているから、肺結核は少しも恐れる必要がないことを患者にもわかってもらうと、結核患者の半数以上の絶滅的解決を期待できる。

著者については名古屋医科大学で博士号を昭和9年にとっているほかは詳細は不明。